恋のリハーサルは本番です

帰り道。

あかりと蓮と翔、三人の影が伸びているのに、どれも繋がってはいなかった。

蓮と翔は少し後ろを歩き、あかりは数歩先を歩く。

手を伸ばせば届く距離。

でも──その一歩が、誰にも踏み出せない。

(……怖い。踏み出したあと、戻れなくなるのが)

あかりは前を見たまま、心の中だけで呟く。

先に口を開いたのは翔だった。

「……あかりさん」

声は優しいのに、どこかで線を引くような呼び方だった。

遠慮と、覚悟と、願いが混ざっている。

「あかりさんは、無理に答える必要はない。
 でも……迷ったままで立ち止まるなら、手は貸す。
 進む方向くらい、一緒に探せる」

あかりは振り返れないまま、ただ、小さく息を吸う。

(優しい……でも、優しさが痛いよ)

翔は踏み込みすぎず、でも距離を置きすぎない絶妙な位置で歩いている。

“追わないけど、置いていかない”。

その言葉を、行動で示すように。

その横で、蓮は何かを言いかけて、言葉が出ない。

「……み、水無月さん」

普段どおりの呼び方。

仕事としての呼び名。

それは間違っていない。

でも、その呼び方では届かないことを、蓮は理解している。

(呼びたい。名前で。
 でも……呼んだら、選んでほしいって言うみたいで)

その迷いが喉を塞ぐ。

言えば壊れる。

言わなければ離れる。

あかりはその空気の震えに気づいてしまう。

(蓮さん……呼べないんだ)

たったそれだけで、胸が痛かった。

信号待ち。

三人が並ぶ。

肩は触れない距離。

あかりは、ぽつりと漏らした。

「……名前で呼ばれるの、怖いんです」

蓮と翔が同時に反応する。

「なんで?」
「どうして?」

あかりは笑おうとして、うまく笑えなかった。

「だって……名前って、心で呼ぶものじゃないですか。
 ……距離を決めちゃうから」

翔は息を呑む。

蓮の指先が震える。

「“あかり”って呼ばれたら……期待しちゃう。
 “蓮さん”って呼び返したら……決めちゃう」

声が揺れて、最後の言葉は掠れた。

「だから……今はまだ、呼べない」

沈黙を破ったのは翔だった。

「……分かった。
 あかりって呼ぶのは、俺が勝手に決めたことだしな」

翔は少し視線を落とす。

「呼ばない。今は。
 そのかわり……呼びたくなったときは遠慮しない。
 “呼ばせてくれ”って言う」

その言い方が、ずるいほど優しくて。

あかりは胸が締め付けられた。

蓮は拳を握りしめ、ようやく言葉を紡ぐ。

「……俺は、焦らない。
 でも、置いていかないでくれ」

視線が、あかりの背中に触れる。

触れただけで、離れた。

「名前は……いつか、呼ばせてください。
 “呼んでもいい”って、あなたが思えたときに」

それは告白ではなく、約束でもなく。

ただ、“待つ覚悟”の証明だった。

あかりは、俯いたまま小さく頷く。

「……はい」

涙は落ちない。

落としたら、終わってしまう気がしたから。

それでも心が震える。

どちらの言葉にも、揺れる。

選ばれる優しさと、選ばない強さ。

あかりはまだ、どちらにも触れられない。

でも──

一歩くらいなら、前に進めるかもしれない。