稽古終了。 舞台照明が落ち、薄暗い稽古場に余韻が揺れる頃。
水無月あかりは台本を抱え、出口へ向かおうとした。 見なければ済む。聞かなければ済む。
──そう思ったはずなのに、足は止まる。
舞台中央で、蓮と翔が向かい合っているからだ。
二人は声を荒げていない。 静かで、冷たい空気がぶつかり合っていた。
翔が笑いながら言う。
「……今日のシーン、悪くなかったな。
亜理沙もあんたも、ちゃんと“恋してる顔”してた」
蓮は苦笑すらしない。
「演技だよ。ここは稽古場だ」
「そうか?
それにしては、あかりさんを見る目が“役作り”じゃなかったけどな」
空気が止まった。
あかりの肩がびくりと震える。
蓮の声が低く落ちる。
「……あかりさんを巻き込むつもりはない」
翔は歩み寄る。 まるで挑発するように、蓮の
半歩前まで来る。
「巻き込んでる自覚がないのが、一番タチ悪いって話だよ」
翔はあかりに視線を向ける。
「あかりさん。
蓮の芝居、見ててどうだった?苦しくなかったか?」
優しいようで、その実逃がさない言葉。
あかりは答えられない。 息を吸うことすら、
躊躇う。
(苦しいよ。
見なきゃよかったって、何度も思った)
けれど口から出た声は、違った。
「……私は、脚本家です。
感情で判断する立場じゃありません」
蓮の目が揺れる。
翔はそれを見て、ふわりと笑う。
「そっか。なら──俺が言っとく。
俺は、あかりさんを“ちゃんと見る”。最初から」
静かに宣言された言葉。 告白ではないのに、告白より残酷だった。
蓮が言う。
「翔、やめろ」
「やめないよ。
あんたが自分の気持ちから逃げるなら、俺は全部取りに行く」
たまらず、あかりは一歩下がる。
(優しいだけじゃ、届かない。
待つだけじゃ、伝わらない)
わかってしまう。
この三角形は、誰も傷つけずに終われない。
「……ごめんなさい、帰ります」
それだけ言って背を向ける。
出口に向かう足取りは、弱くはなかった。 けれど迷っているのが、背中から伝わる。
蓮が呼び止めたくて、でも呼べない距離。
翔だけが、小さく呟いた。
「……あかりさんが泣く前に、終わらせないと負ける」
その声は勝負の始まりを告げる鐘のようだった。



