恋のリハーサルは本番です

 三週間前。稽古場の空気は、妙にざわついていた。



 台本を抱えた姫野亜理沙が、落ち着かない様子で立ち尽くしている。



 その向かいでは桜井蓮が、台詞の確認をしながらも彼女の方を時折ちらちら見ていた。



「じゃあ──シーン12、キス未遂のところ。立ち位置から確認しようか」



 演出家の佐藤が指示を出すと、場の空気が一瞬にして硬くなる。



 稽古台本の横に立っていた高峰翔が、盛大に咳き込みながら蓮の肩を肘でつついた。



「おい蓮、本物みたいに赤くなるなよ? 稽古だからな、稽古!」



「余計なお世話だ」



 言葉では突っぱねながら、蓮の耳は見事に赤く染まっていた。



 姫野亜理沙も、それに気づき唇をきゅっと結ぶ。



(……もしかして、私が原因?)



 緊張と、少しの期待と、不安が混ざった表情。



 蓮は気まずそうに視線をそらしたまま、そっと台詞を口にする。



「……俺、お前を手放す気なんて、最初からなかった」



 その瞬間。  稽古場の空気が変わった。まるで舞台照明が実際に当たったかのように。



 亜理沙も自然と台詞がこぼれる。



「……そんなこと言われたら、期待しちゃうじゃないですか」



 距離が縮まる。



 あと数十センチ。指先ひとつ伸ばせば触れてしまう距離。



 そこへ──。



「はいストップ!! ふたり距離近すぎ! カメラに収まらない!」



 演出家の佐藤が慌てて割って入り、バサッと台本を閉じる。



 稽古場の空気が一気に日常へ引き戻された。



「……あぶない。もうちょっとで完全にキスしてたぞ」



「え、演出家さんが言った距離感の確認で……っ!」



 亜理沙が真っ赤になり、蓮は目をそらしたまま小さく息をついた。



「……悪い。俺、演技だと割り切るの苦手だ」

 一言が、胸の奥を震わせた。



 水無月あかりは脚本の余白に何かを書き込み、さらりと笑う。



「いいんじゃない? 演技じゃない気持ちが混ざる方が、観客の心に届く」



 その言葉に、誰よりも反応したのは姫野亜理沙だった。



(……演技じゃない気持ち。

 それ、私にも生まれてるのかな)



 開幕まで三週間。

 

恋と舞台は、どちらもまだ稽古中だった。