恋のリハーサルは本番です

劇団の小さな会議室。
窓から差し込む午後の光が、長机の上に置かれた台本の束を照らしている。
神埼が、腕を組んだまま静かに口を開いた。
「――次回公演について、正式に決めた」
その言葉に、室内の空気がわずかに引き締まる。
蓮、あかり、美咲、佐藤。
そして壁際には、高峰翔の姿もあった。



「新作は、水無月あかりのオリジナル脚本でいく」
一瞬、沈黙。
あかりは、思わず背筋を伸ばした。
「タイトルは仮だが……
『恋のリハーサル』」
佐藤が、小さく息を吐く。
「……随分、覚悟のいる題材だな」
「だからこそだ」
神埼は視線を巡らせた。
「今回の舞台は、“感情を隠さない役者”が必要だ」
そして、蓮を見る。
「桜井。主役は、お前だ」
蓮は一瞬だけ目を伏せ、そして、はっきりと頷いた。
「……はい」



美咲は、その様子を静かに見ていた。
胸の奥で、何かがきしむ音がする。
けれど、それはもう痛みだけではなかった。
(……ちゃんと、前を向かなきゃ)
「神埼さん」
美咲が手を挙げる。
「私、今回はヒロイン、降ります」
室内がざわめく。
蓮が、驚いたように美咲を見る。
「美咲……?」
「大丈夫」
美咲は、穏やかに笑った。
「逃げるわけじゃないよ」
視線をあかりへ向ける。
「この台本……たぶん、
“今の私”が立つ場所じゃない」
あかりは、息を呑んだ。
「それに」
美咲は、蓮に向き直る。
「幼なじみとして、
ここで一回、ちゃんと見送らないと」
言葉は柔らかいのに、決意は揺るがない。
「蓮、舞台の上で、ちゃんと“選ばれて”」
その一言が、胸に深く刺さった。
「……ありがとう」
蓮は、そう言うことしかできなかった。


そのやり取りを、翔は腕を組んだまま見ていた。
(なるほどな)
口元に、わずかな笑み。
「……面白くなってきた」
視線をあかりに向ける。
(脚本家が本音を書いて、
役者がそれを背負う)
(そりゃ、舞台は強くなる)
だが、同時に──
(甘くも、なる)
翔の目が、鋭く細まった。



神埼が、手を叩く。
「じゃあ、詳細は追って共有する」
「読み合わせは、来週からだ」
それぞれが立ち上がり、部屋を出ていく。
最後に残ったのは、あかりと蓮。
「……美咲さん」
あかりが、ぽつりと言った。
「すごく、強い人ですね」
蓮は、少し寂しそうに笑った。
「昔から、そうなんです」
間が空く。
あかりは、意を決して言った。
「……私」
「この脚本、逃げずに書きます」
「蓮さんが演じるなら、なおさら」
蓮は、まっすぐにあかりを見る。
「俺も」
「役者としてじゃなく……」
一瞬、言葉を切る。
「一人の人間として、向き合います」
その視線が、真剣すぎて。
あかりは、思わず胸を押さえた。
(ああ……)
(もう、後戻りできない)


その夜。
美咲は、スマホを閉じてベッドに腰掛けた。
(ちゃんと、終わらせた)
そう思った瞬間、
静かに涙が一粒だけ落ちる。
一方、あかりはノートパソコンの前で、
新しい一文を打ち込んでいた。
『これは、
逃げなかった二人の物語だ』
そして蓮は、鏡の前で呟く。
「……待つだけが、優しさじゃない」
三人は、それぞれ違う夜を迎えながら、
同じ舞台へと向かっていく。