恋のリハーサルは本番です

朝。
稽古場の前に立った蓮は、
一度だけ深く息を吸った。
(……決めた)
待つことが優しさだと、
ずっと思っていた。

でも──
それは、自分が傷つかないための言い訳だったのかもしれない。
扉を開ける。
あかりは、机に向かい、
次回作の構成メモを書いていた。
文字は整っているのに、
心はまったく追いついていない。
(翔さんの提案……)
(まだ、返事してない)
“安全な選択肢”
“プロとして正しい判断”
どれも、頭では分かっている。
でも──
「……水無月さん」
声に、心臓が跳ねた。
顔を上げると、蓮が立っていた。
「……今、少しいいですか」
逃げ場はなかった。
二人は、誰もいない客席に並んで座る。
舞台の上には、まだ灯りがついていない。
「……昨日のこと」
蓮が、先に口を開いた。
「あの台本の加筆」
あかりは、指を握りしめる。
「俺、あれを読んで」
「初めて……
 役じゃなく、自分として立ってる気がしました」
あかりの胸が、ぎゅっと縮む。
「それって……」
「嬉しかったです」
はっきりとした声。
「でも、同時に怖くもなった」
「もし、あれが――
 水無月さんの“本音”だったら」
蓮は、あかりを見る。
逃げない視線。
「俺、どうすればいいのか分からなくなる」
沈黙。
舞台の静けさが、二人を包む。
「……だから」
蓮は、膝の上で拳を握った。
「もう、待つのはやめます」
あかりが、息を呑む。
「水無月さん」
「俺、あなたの脚本が好きです」
一瞬、言葉が途切れる。
「でも、それ以上に──」
喉を鳴らし、続ける。
「あなた自身に、惹かれてます」
世界が、止まったように感じた。
「……だめです」
あかりは、即座に首を振る。
「それは、だめ」
声が、震えていた。
「私は、脚本家で……
 あなたは、役者で……」
「もし、気持ちが揺れたら」
「作品に、影響が出る」
「それだけは……」
必死だった。
自分を守るためでもあり、
蓮を守るためでもある言葉。
でも──
蓮は、静かに言った。
「それ、本当に優しさですか?」
あかりは、答えられない。
「水無月さん」
「俺、役者です」
「舞台に立つとき、
 感情を殺すことなんてできない」
「だから」
蓮は、真っ直ぐに続ける。
「あなたが書いた言葉に、
 あなたの想いが乗ってるなら」
「それを感じないふりは、
 できない」
「それでも──」
一歩、距離を詰める。
「それでも、俺は」
「逃げずに、向き合いたい」



(……ずるい)
(こんなの、ずるい)
“選ばない”ことで、
誰も傷つけないつもりだった。
でも──
それは、自分が傷つかないためだった。
(私、書いてきたじゃない)
(恋から逃げる人間の弱さを)
自分が、まさにそれだった。



その頃、稽古場の外。
翔は、二人の姿を遠くから見ていた。
(……踏み込んだな)
小さく、笑う。
「さて……」
「それでも、選択肢は残しておくか」
翔は、静かに背を向けた。
蓮は、最後に言った。
「すぐ答えはいりません」
「でも……」
「俺の気持ちは、知っててほしい」
それだけ言って、立ち上がる。
あかりは、動けなかった。
舞台のない客席で、
一人、座り続ける。
(……書けない)
(もう、嘘の台詞は)
ノートを開き、
白紙のページを見つめる。
そこに、初めて浮かんだ言葉。
『逃げることが、
 優しさだと思っていた』