夜の自室。
あかりは、机の上に広げた台本を閉じたまま、しばらく動けずにいた。
書けた台詞。 書けなかった一行。
その境界線が、はっきりしすぎていて苦しい。
(……逃げてきた)
“脚本家だから” “仕事だから”
そう言い聞かせることで、
自分の感情に触れないようにしてきた。
ノートパソコンを閉じ、
あかりはスマートフォンを手に取る。
画面に浮かぶ名前──
桜井 蓮
指が止まる。
(今、連絡するのは……違う)
そう分かっているのに、
胸の奥が、ずっと騒がしい。
◆ 翌日
早めに到着したあかりは、
誰もいない客席で台本を読み返していた。
そのとき。
「……やっぱり、来てたか」
低い声。
振り返ると、高峰翔が立っていた。
「翔さん……」
「顔に出てる」
翔は、軽く肩をすくめる。
「書き直しただろ。
あのシーン」
あかりは、否定しなかった。
「……書いたというより、
出ちゃいました」
「本音が?」
「たぶん」
翔は、舞台を見つめる。
「それでいい」
「舞台ってさ、
作り手の嘘より、
本音の方が残酷だから」
あかりは、小さく息を吐いた。
「……怖いんです」
「何が?」
「もし、あれを蓮さんが読んだら」
「私が、何を思ってたか……
全部、伝わってしまう」
翔は、しばらく黙り、
そして言った。
「伝わって、困る?」
あかりは、答えられなかった。
「なあ、センセ」
翔は、あくまで穏やかに言う。
「次の舞台、
俺が主演でもいい」
あかりは、目を見開く。
「え……?」
「冗談じゃない」
「その脚本、
今の蓮には重すぎる」
「背負わせるなら、
覚悟があるやつがいい」
沈黙。
翔の視線は、
からかいでも、挑発でもない。
“選択肢”を差し出す目だった。
「……それは」
あかりは、唇を噛む。
(逃げ道)
(でも──)
「考えておいて」
翔は、それだけ言って立ち去った。
稽古が始まり、
蓮は集中しているように見えた。
だが、
あかりには分かる。
(……揺れてる)
声の抑揚。 立ち位置の微妙なズレ。
蓮は、台詞の裏にある“感情”を、
もう読み取ってしまっている。
稽古が終わり、
片付けのざわめきの中。
蓮が、あかりの前に立った。
「……あの」
声が、少し低い。
「昨日、書き足しました?」
あかりは、逃げなかった。
「……はい」
「やっぱり」
短く息を吐く。
「読んでて、
胸が痛くなりました」
あかりの喉が、鳴る。
「それって……」
「俺の話ですか?」
その問いに、
あかりは答えられなかった。
肯定も、否定も。
沈黙。
その沈黙が、
すでに答えだった。
蓮は、目を伏せ、
そして──
「……少し、時間をください」
「俺、考えたいです」
逃げではなかった。
“選ぶための猶予”だった。
あかりは、静かに頷いた。
◆ 夜
翔は、帰り道でメッセージを打つ。
《考えた?
俺が受けるって話》
あかりは、まだ返信しない。
蓮は、自室で台本を開く。
“彼女が書いた言葉”を、
何度もなぞる。
(……待つだけじゃ、
もう足りない)
美咲は、自分の部屋で、
静かに微笑んでいた。
(ちゃんと、前に進めてる)
三人の想いが、
同じ夜に、違う方向へ動き出す。
あかりは、机の上に広げた台本を閉じたまま、しばらく動けずにいた。
書けた台詞。 書けなかった一行。
その境界線が、はっきりしすぎていて苦しい。
(……逃げてきた)
“脚本家だから” “仕事だから”
そう言い聞かせることで、
自分の感情に触れないようにしてきた。
ノートパソコンを閉じ、
あかりはスマートフォンを手に取る。
画面に浮かぶ名前──
桜井 蓮
指が止まる。
(今、連絡するのは……違う)
そう分かっているのに、
胸の奥が、ずっと騒がしい。
◆ 翌日
早めに到着したあかりは、
誰もいない客席で台本を読み返していた。
そのとき。
「……やっぱり、来てたか」
低い声。
振り返ると、高峰翔が立っていた。
「翔さん……」
「顔に出てる」
翔は、軽く肩をすくめる。
「書き直しただろ。
あのシーン」
あかりは、否定しなかった。
「……書いたというより、
出ちゃいました」
「本音が?」
「たぶん」
翔は、舞台を見つめる。
「それでいい」
「舞台ってさ、
作り手の嘘より、
本音の方が残酷だから」
あかりは、小さく息を吐いた。
「……怖いんです」
「何が?」
「もし、あれを蓮さんが読んだら」
「私が、何を思ってたか……
全部、伝わってしまう」
翔は、しばらく黙り、
そして言った。
「伝わって、困る?」
あかりは、答えられなかった。
「なあ、センセ」
翔は、あくまで穏やかに言う。
「次の舞台、
俺が主演でもいい」
あかりは、目を見開く。
「え……?」
「冗談じゃない」
「その脚本、
今の蓮には重すぎる」
「背負わせるなら、
覚悟があるやつがいい」
沈黙。
翔の視線は、
からかいでも、挑発でもない。
“選択肢”を差し出す目だった。
「……それは」
あかりは、唇を噛む。
(逃げ道)
(でも──)
「考えておいて」
翔は、それだけ言って立ち去った。
稽古が始まり、
蓮は集中しているように見えた。
だが、
あかりには分かる。
(……揺れてる)
声の抑揚。 立ち位置の微妙なズレ。
蓮は、台詞の裏にある“感情”を、
もう読み取ってしまっている。
稽古が終わり、
片付けのざわめきの中。
蓮が、あかりの前に立った。
「……あの」
声が、少し低い。
「昨日、書き足しました?」
あかりは、逃げなかった。
「……はい」
「やっぱり」
短く息を吐く。
「読んでて、
胸が痛くなりました」
あかりの喉が、鳴る。
「それって……」
「俺の話ですか?」
その問いに、
あかりは答えられなかった。
肯定も、否定も。
沈黙。
その沈黙が、
すでに答えだった。
蓮は、目を伏せ、
そして──
「……少し、時間をください」
「俺、考えたいです」
逃げではなかった。
“選ぶための猶予”だった。
あかりは、静かに頷いた。
◆ 夜
翔は、帰り道でメッセージを打つ。
《考えた?
俺が受けるって話》
あかりは、まだ返信しない。
蓮は、自室で台本を開く。
“彼女が書いた言葉”を、
何度もなぞる。
(……待つだけじゃ、
もう足りない)
美咲は、自分の部屋で、
静かに微笑んでいた。
(ちゃんと、前に進めてる)
三人の想いが、
同じ夜に、違う方向へ動き出す。



