恋のリハーサルは本番です

 稽古場の空気が、少し張りつめていた。

今日の稽古は、立ち位置を決めるだけの軽いもの──
のはずだったが、
役者たちの感情は、台本以上に動いていた。



「……佐藤さん」

美咲が、静かに手を挙げた。

演出家・佐藤が顔を上げる。

「どうした?」

「一度、このシーン……
 蓮と向き合う前に、少し間をください」

空気が止まる。

あかりが顔を上げ、
蓮は一瞬、息を詰めた。

佐藤は数秒考え、頷いた。

「……いいだろう。
 五分だけだ」




廊下に出た瞬間、
美咲は深く息を吐いた。

「……ねえ、蓮」

「私さ」

言葉を探すように、一度視線を落とす。

「舞台が終わっても、
 ずっと胸の中が整理できなかった」

蓮は、黙って聞いている。

「“選ばれなかった”って事実より──」

美咲は、はっきりと言った。

「曖昧にされたまま終わるのが、
 一番つらかった」

胸が、きしむ。

「……美咲」

「待って」

美咲は、首を振った。

「これは、答えをもらうためじゃない」

「“区切り”が欲しいだけ」

しばらくの沈黙。

そして──

蓮は、逃げなかった。



「……俺は」

「美咲を大事に思ってる」

美咲の指先が、かすかに震える。

「でも、それは……
 “一緒に生きたい”って気持ちとは、違った」

はっきりと、誠実に。

「中途半端に期待させたまま、
 そばにいる資格はないと思ってた」

「……だから、距離を取った」

美咲は、静かに頷いた。

涙は、もう出なかった。

「……そっか」

「それなら、いい」

少しだけ、微笑む。

「ありがとう。
 ちゃんと、言葉にしてくれて」

それは、別れではなく、
終わりを受け入れる強さだった。



稽古場に戻る途中、
美咲は立ち止まり、振り返る。

「蓮」

「次の舞台」

「……ちゃんと、好きな人の前に立ちなよ」

蓮は、何も言えなかった。

けれど――
その背中を、まっすぐ見送った。




二人が戻ると、
あかりは一瞬で察した。

(……何か、終わった)

美咲の表情は、静かだった。

佐藤が声をかける。

「よし、続けるぞ」

次は──
蓮とあかりが関わる、
“感情の核心”のシーン。

台詞を読む蓮の声が、
これまでよりも低く、深くなる。

あかりは、画面を見つめながら思う。

(……逃げ道を残したまま、
 書き続けるのは、もう違う)

ノートパソコンに、
一行、書き加える。

『──選ばれなかった痛みより、
 選ばなかった後悔の方が、
 人を長く縛る』

その一文を見た瞬間、
蓮の胸が、はっきりと痛んだ。

(……あかりさん)




美咲は、一人で歩きながら、空を見上げる。

(これでいい)

(ちゃんと終われた)

あかりは、自室で台本を閉じる。

(……書いちゃったな)

(自分の本音)

蓮は、眠れずに天井を見つめる。

(待つだけが、優しさじゃない)

(でも──踏み出すなら、
 覚悟がいる)

三人の夜は、
それぞれに静かに更けていった。