恋のリハーサルは本番です

読み合わせから、数日後。

稽古場には、まだ本格的な立ち稽古が始まる前の、
静かで落ち着いた空気が流れていた。

机の上には、赤字の入った台本。
その多くは、水無月あかりの手によるものだ。




「……ここ、少し変えました」

あかりが、控えめに言う。

「主人公の台詞です。
 “想っているからこそ、何も言えない”じゃなくて──」

画面をスクロールしながら、続けた。

「“言えない自分を、許してほしい”に」

一瞬、沈黙。

その台詞を読むのは──蓮だ。

(……逃げてない)

そう感じた瞬間、胸の奥が静かに熱を持つ。

蓮は、ゆっくりと口を開いた。

「……分かりました」

「やってみます」




「──君に何も言えなかったのは、
 大切だったからだ」

「でも、それで君を傷つけたなら……
 俺は、逃げてただけだ」

声は低く、抑えられている。
けれど、嘘がない。

読み終えた瞬間、
稽古場の空気が、わずかに変わった。




美咲は、台本を閉じたまま、蓮を見ていた。

(……前より、素直な芝居)

(感情を“隠す”んじゃなくて、
 抱えたまま立ってる)

それができるようになった理由を、
美咲はもう、分かっている。

(あかりの言葉、なんだよね)

胸がちくりと痛む。

けれど──
もう、その痛みから逃げないと決めていた。




「……いいな」

佐藤が、腕を組んだまま言った。

「前作より、ずっと危うい」

「だが、それがいい。
 この舞台は“完成度”じゃなく、“覚悟”だ」

神埼も、短く頷く。

「役者も、脚本も、
 腹を括らなきゃ成立しない舞台だな」

その言葉に、あかりは小さく息を吐いた。

(覚悟……か)




稽古場の隅。
コーヒーを片手に、二人は少し距離を取って立っていた。

「……さっきの台詞」

蓮が、ぽつりと言う。

「正直、刺さりました」

あかりは驚いて顔を上げる。

「……ごめんなさい。
 重かったですよね」

「いえ」

蓮は首を振る。

「重いから、ちゃんと演じたいと思いました」

一瞬、言葉が途切れる。

「……あかりさんが書く言葉は、
 逃げ道がない」

それは、褒め言葉だった。

あかりは、苦笑する。

「……私も、最近は逃げてないだけです」

視線が、ふっと交わる。

それだけで、胸がざわつく。




「相変わらず、いい空気だな」

その声に、二人は同時に振り向く。

高峰翔だった。

「今回の台本、面白い」

「特に──“言えなかった側”の台詞」

あかりを見る。

「書いた人間が、相当追い込まれてる」

あかりは、はっきりと言い返す。

「追い込まれてるんじゃなくて、
 向き合ってるだけです」

翔は、少しだけ目を細めた。

「……なるほど」

「だから、目を逸らさない役者が必要なんだな」

その言葉に、蓮の表情がわずかに引き締まる。




台詞は、書き直される。
演出も、芝居も、これから変わっていく。

でも──

誰を見ているのか。
誰の言葉に、心が揺れるのか。

それだけは、
簡単に修正できない。

あかりは、ノートパソコンを閉じた。

(……これは、舞台)

(でも、もう“ただの仕事”じゃない)

蓮は、台本を胸に抱え、静かに思う。

(待つだけが、優しさじゃない)

次に踏み出すのは、
誰なのか。