翌朝も、空はまだ泣いていた。
夜半の雨は弱まったものの、校舎の窓には細い雨筋が残り、
空気の中に湿った静けさが漂っている。
瑠奈はいつもより早く登校した。
誰もいない教室で、窓を少しだけ開けると、
ひんやりとした風が頬を撫でる。
遠くで鳥が鳴いた。
静かな雨音と混ざり合い、心に沁みるようだった。
(昨日のこと……夢じゃなかったんだ)
雨の中で並んで歩いた悠真の横顔が、まだ鮮明に焼きついている。
傘越しに感じた距離、あの沈黙。
何も言葉を交わさなくても、確かに心が触れた――そう思っていた。
けれど、
その淡い希望は、午前の光の中でゆっくりと崩れていく。
昼休み。
廊下の向こうから、笑い声が聞こえた。
「麗華、昨日ありがとうな。助かったよ」
悠真の声。
そして、隣には麗華。
彼女の腕には、昨日と同じ深紅のリボンが揺れている。
「どういたしまして。悠真くん、風邪ひいてない? 昨日、濡れてたでしょ?」
「平気。傘借りたから」
「ふぅん、誰に?」
「……桐山」
「――そう」
麗華の瞳が、一瞬だけ硬く光った。
けれどすぐに微笑みに戻る。
「優しいのね、瑠奈ちゃん。……ねえ、放課後、話せる?」
「え?」
「少し、聞きたいことがあるの」
放課後の中庭。
雨は上がり、濡れた石畳に薄く陽が差している。
瑠奈は緊張した面持ちで立っていた。
麗華が現れたとき、その微笑はいつもより冷たかった。
「ねぇ、瑠奈ちゃん」
「なに?」
「昨日、悠真くんと一緒に帰ったんだって?」
「……うん。偶然、傘がなくて」
「偶然、ね」
麗華は小さく笑う。
「でもさ、悠真くんはそういう“偶然”に弱いの。
優しくされたら、誰にでもいい顔をするから」
「そんな言い方――」
「事実よ。私、知ってる。悠真くんは優しいけど、
本気の恋をしたことなんて一度もない」
瑠奈は唇を噛んだ。
「じゃあ、麗華ちゃんは? 本気なの?」
麗華の笑みが消える。
「ええ。本気よ。だから――奪われたくないの」
風が吹き、二人の髪が揺れる。
沈黙の中、雨のしずくが木の枝から落ちた。
「……奪うつもりなんて、ないよ」
「でも、悠真くんはあなたを見てる」
「そんなこと、ない」
「あるの。私にはわかる」
言葉の温度が少しずつ上がっていく。
麗華の瞳に宿る焦りと、瑠奈の心にある罪悪感。
それは互いに似ていて、だからこそぶつかるしかなかった。
「ねぇ、瑠奈ちゃん。
あなたって、“何も言わない”のが得意よね」
「……え?」
「黙ってるだけで、みんなに“いい子”だと思われる。
でも、本当はずるい。
黙っていることで、誰かを動かしてる」
(……そんなつもりじゃないのに)
胸が熱くなる。言い返したくても、声が出ない。
「言葉にしなきゃ、伝わらないのよ」
麗華が背を向ける。
「それを知らない限り、あなたはまた誰かを泣かせる」
その背中に雨のしずくが落ち、光を反射した。
瑠奈はただ、その場に立ち尽くした。
その少しあと。
廊下で拓也が彼女を見つけた。
「どうした、顔色悪いぞ」
「……なんでもない」
「なんでもなく見えない」
彼の言葉に、瑠奈は小さく笑った。
「拓也くんって、ほんとよく見てるね」
「好きな人のことは、放っておけないだろ」
瑠奈の瞳がわずかに揺れた。
けれど、彼女は何も答えなかった。
その沈黙を、窓の外の雨音が埋めていく。
止んだはずの雨が、再び降り始めていた。
まるで、四人の心を映すように。
言葉では止められない想いが、静かに降り続けていた。
夜半の雨は弱まったものの、校舎の窓には細い雨筋が残り、
空気の中に湿った静けさが漂っている。
瑠奈はいつもより早く登校した。
誰もいない教室で、窓を少しだけ開けると、
ひんやりとした風が頬を撫でる。
遠くで鳥が鳴いた。
静かな雨音と混ざり合い、心に沁みるようだった。
(昨日のこと……夢じゃなかったんだ)
雨の中で並んで歩いた悠真の横顔が、まだ鮮明に焼きついている。
傘越しに感じた距離、あの沈黙。
何も言葉を交わさなくても、確かに心が触れた――そう思っていた。
けれど、
その淡い希望は、午前の光の中でゆっくりと崩れていく。
昼休み。
廊下の向こうから、笑い声が聞こえた。
「麗華、昨日ありがとうな。助かったよ」
悠真の声。
そして、隣には麗華。
彼女の腕には、昨日と同じ深紅のリボンが揺れている。
「どういたしまして。悠真くん、風邪ひいてない? 昨日、濡れてたでしょ?」
「平気。傘借りたから」
「ふぅん、誰に?」
「……桐山」
「――そう」
麗華の瞳が、一瞬だけ硬く光った。
けれどすぐに微笑みに戻る。
「優しいのね、瑠奈ちゃん。……ねえ、放課後、話せる?」
「え?」
「少し、聞きたいことがあるの」
放課後の中庭。
雨は上がり、濡れた石畳に薄く陽が差している。
瑠奈は緊張した面持ちで立っていた。
麗華が現れたとき、その微笑はいつもより冷たかった。
「ねぇ、瑠奈ちゃん」
「なに?」
「昨日、悠真くんと一緒に帰ったんだって?」
「……うん。偶然、傘がなくて」
「偶然、ね」
麗華は小さく笑う。
「でもさ、悠真くんはそういう“偶然”に弱いの。
優しくされたら、誰にでもいい顔をするから」
「そんな言い方――」
「事実よ。私、知ってる。悠真くんは優しいけど、
本気の恋をしたことなんて一度もない」
瑠奈は唇を噛んだ。
「じゃあ、麗華ちゃんは? 本気なの?」
麗華の笑みが消える。
「ええ。本気よ。だから――奪われたくないの」
風が吹き、二人の髪が揺れる。
沈黙の中、雨のしずくが木の枝から落ちた。
「……奪うつもりなんて、ないよ」
「でも、悠真くんはあなたを見てる」
「そんなこと、ない」
「あるの。私にはわかる」
言葉の温度が少しずつ上がっていく。
麗華の瞳に宿る焦りと、瑠奈の心にある罪悪感。
それは互いに似ていて、だからこそぶつかるしかなかった。
「ねぇ、瑠奈ちゃん。
あなたって、“何も言わない”のが得意よね」
「……え?」
「黙ってるだけで、みんなに“いい子”だと思われる。
でも、本当はずるい。
黙っていることで、誰かを動かしてる」
(……そんなつもりじゃないのに)
胸が熱くなる。言い返したくても、声が出ない。
「言葉にしなきゃ、伝わらないのよ」
麗華が背を向ける。
「それを知らない限り、あなたはまた誰かを泣かせる」
その背中に雨のしずくが落ち、光を反射した。
瑠奈はただ、その場に立ち尽くした。
その少しあと。
廊下で拓也が彼女を見つけた。
「どうした、顔色悪いぞ」
「……なんでもない」
「なんでもなく見えない」
彼の言葉に、瑠奈は小さく笑った。
「拓也くんって、ほんとよく見てるね」
「好きな人のことは、放っておけないだろ」
瑠奈の瞳がわずかに揺れた。
けれど、彼女は何も答えなかった。
その沈黙を、窓の外の雨音が埋めていく。
止んだはずの雨が、再び降り始めていた。
まるで、四人の心を映すように。
言葉では止められない想いが、静かに降り続けていた。

