春の光がやわらかく差し込む午後。
校舎裏の桜並木を、瑠奈は一人歩いていた。
風に揺れる花びらが肩に落ちるたび、ふと顔を上げては、
どこかで聞こえるバスケットボールの音に耳を傾ける。

――今日も、練習しているんだ。

遠く、グラウンドで悠真が笑う声が聞こえる。
その隣には、麗華の姿。
彼女はペットボトルを差し出しながら、無邪気に笑っていた。

(また、麗華ちゃん……)

胸の奥が、少しだけ痛む。
わかっている。悠真は誰にでも優しい。
けれど、その「誰にでも」の中に自分が埋もれていくようで、
息が詰まりそうになる。



放課後、図書室。
静かなページの音だけが響く中、瑠奈はプリントを整理していた。
そこへ、軽い足音が近づいてくる。

「桐山、ここにいたんだ」
顔を上げると、悠真が本を抱えて立っていた。
白いシャツの袖をまくり、少しだけ乱れた髪が光を受けてきらめく。

「授業の資料、貸してくれたろ? ありがとう」
「あ……ううん、たいしたことないよ」
「いや、助かった。桐山って、いつも気が利くよな」

そう言って笑う彼の声は、やさしくて――
けれどその優しさが、余計に苦しかった。

「……麗華ちゃんにも、よく言ってるよね」
思わず口をついた。
悠真が瞬きをする。

「え?」
「“気が利く”とか、“助かる”とか。よく言ってるの、聞くから」
「……ああ、そうかも。だって本当に助かってるし」

悪意のない言葉。
だからこそ、心がちくりと痛む。

「……そうだよね」
瑠奈は笑ってみせた。
でも、目の奥の色は晴れない。



数日後。
昼休みの屋上で、麗華が風に髪をなびかせていた。
「ねぇ、悠真くん。来週の文化祭の準備、手伝ってくれる?」
「うん、もちろん」
「嬉しい。じゃあ放課後、資材庫で待ってるね」

その会話を、廊下の陰から瑠奈は見ていた。
麗華の瞳は楽しげで、悠真は何も疑う様子もない。
まるで二人だけの世界みたいに見えた。

そのとき、背後から拓也が現れた。
「……また、見てたの?」
「……違うよ」
「嘘つくとき、瑠奈はいつもまつ毛が震える」
「拓也くん……」

彼の手が、瑠奈の髪に触れた。
「お前の気持ち、あいつは知らない。
でも――俺は知ってる」
瑠奈は俯き、そっと首を振る。
「そんなこと言わないで。」

遠くでチャイムが鳴り、麗華の笑い声が校舎の窓から流れてくる。
瑠奈は、制服の裾をぎゅっと握りしめた。



その日の放課後。
資材庫の前を通りかかると、半開きの扉の向こうから、
楽しげな声が聞こえた。

「ねぇ悠真くん、こっち持って」
「おっと、悪い、重かった?」
「ううん、ありがとう」

箱を受け渡す音。
重なった手。
笑い声。

瑠奈は、足が動かなくなった。
息をひそめ、扉の陰で立ち尽くす。
胸の奥が、かすかに軋んだ。

――どうして、こんなに苦しいんだろう。

やがて扉が開き、麗華が出てくる。
「あら、瑠奈ちゃん。どうしたの?」
「……えっと、プリントを届けに……」
「そっか。悠真くん、優しいからつい手伝ってもらっちゃって」
そう言って笑う麗華の声には、わずかに勝ち誇った響きがあった。

悠真が遅れて出てくる。
「桐山、どうした?」
「ううん、なんでもないの」
微笑もうとしても、唇が震えた。

彼は気づかない。
彼女の笑顔の裏に隠れた、痛みの意味に。


夕暮れの校庭。
風が通り抜け、桜の花びらが舞う。
瑠奈はひとり、噴水の縁に座り、空を見上げた。
橙色の光が頬を染める。

(優しいのに、どうしてこんなに遠いの……?)

心の中でそう呟いた瞬間、携帯が震えた。
画面には“西園寺拓也”の名。

――『今どこ? 迎えに行く』

瑠奈は小さく息をつき、
ゆっくりと返信を打った。

『……光の庭にいるよ』

そのメッセージを送信した時、
背中に沈黙の夜風が触れた。

それは、四人の物語が少しずつ“壊れ始めた”合図だった。