夜明けの街は、雨の名残をほんのりと匂わせていた。
舗道の水たまりに朝日が反射し、ビルの窓が淡く光る。
いつもの通勤時間よりも少し早く、瑠奈はゆっくりと歩いていた。
傘はいらなかった。
空はもう晴れていて、雲の切れ間から金色の光が差している。
(この光を、こんなに穏やかだと思えたのは、いつぶりだろう)
胸の奥に、昨日の夜の言葉が残っていた。
「並んで歩こう」
「うまく言えなくても、言葉で選び続ける」
その約束が、いま足元の歩幅を確かにしている。
会社の前で立ち止まる。
入口の自動扉が開き、
朝の空気と一緒に、懐かしいざわめきが流れ込んできた。
受付の女性が少し驚いたように微笑む。
「桐山主任……お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
たったそれだけの会話なのに、胸が熱くなる。
ここに戻ることを、何度ためらっただろう。
でも、今日はもう迷わない。
デスクに荷物を置くと、
机の上に一枚のメモが置かれていた。
《10時に会議室。―一条》
その文字に、自然と微笑みが浮かんだ。
彼の筆跡は、相変わらず几帳面で真っ直ぐ。
それだけで胸の奥が少し温かくなる。
午前十時。
会議室のドアを開けると、悠真が窓際に立っていた。
朝の光が肩を照らし、白いシャツの袖が淡く透けて見える。
「おはようございます」
「おはよう。……戻ってくれてありがとう」
「こちらこそ。呼び戻してくれて、ありがとうございます」
悠真は静かに笑い、
瑠奈に資料の束を渡した。
「今日から、また一緒にやろう。新しいプロジェクト、君と組みたい」
「はい。頑張ります」
その言葉の裏に、“信頼”という見えない糸が確かに結ばれている気がした。
⸻
会議のあと、二人は並んで廊下を歩いた。
窓の外には、光に濡れた街路樹。
雨に洗われた葉が、風に揺れている。
「久しぶりに見るね、こんな青空」
「ええ。夜明けのあとって、こんなに眩しいんですね」
一瞬、視線が交わる。
けれど、どちらも言葉を急がない。
沈黙は、もう不安ではなく、
“心を揃える時間”としてそこにあった。
玄関を出ると、
光の庭――あの噴水のある中庭が見えた。
出社前の社員たちが行き交う中、
瑠奈は立ち止まる。
水面に、陽の光が散って跳ねる。
五年前の自分が泣いた場所。
けれど今、その記憶は痛みではなく、
“始まり”として胸の中で静かに輝いていた。
「桐山」
振り向くと、悠真が数歩後ろにいた。
「会議、もうすぐ始まる」
「はい」
一歩近づいて、彼は小さく囁く。
「この光、綺麗だな」
「ええ。……沈黙が、やっと報われた朝ですね」
「そうだな。
あの夜の約束が、今こうして“光”になってる」
ふたりは並んで噴水を見つめた。
光が跳ね、二人の影をひとつに繋ぐ。
“沈黙が終わる時、それは別れではなく、始まりの合図。”
瑠奈は心の中でそっとそう呟いた。
あの日泣いていた少女はもういない。
いま隣に立つのは、
“声を持つ女性”としての自分だった。
そしてその隣には、
同じ沈黙を越えてきたひとがいる。
朝の光がさらに強くなり、
新しい一日が始まる。
二人は歩き出した。
もう何も言わなくても、
――並んで歩く足音が、未来の約束のように響いていた。
舗道の水たまりに朝日が反射し、ビルの窓が淡く光る。
いつもの通勤時間よりも少し早く、瑠奈はゆっくりと歩いていた。
傘はいらなかった。
空はもう晴れていて、雲の切れ間から金色の光が差している。
(この光を、こんなに穏やかだと思えたのは、いつぶりだろう)
胸の奥に、昨日の夜の言葉が残っていた。
「並んで歩こう」
「うまく言えなくても、言葉で選び続ける」
その約束が、いま足元の歩幅を確かにしている。
会社の前で立ち止まる。
入口の自動扉が開き、
朝の空気と一緒に、懐かしいざわめきが流れ込んできた。
受付の女性が少し驚いたように微笑む。
「桐山主任……お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
たったそれだけの会話なのに、胸が熱くなる。
ここに戻ることを、何度ためらっただろう。
でも、今日はもう迷わない。
デスクに荷物を置くと、
机の上に一枚のメモが置かれていた。
《10時に会議室。―一条》
その文字に、自然と微笑みが浮かんだ。
彼の筆跡は、相変わらず几帳面で真っ直ぐ。
それだけで胸の奥が少し温かくなる。
午前十時。
会議室のドアを開けると、悠真が窓際に立っていた。
朝の光が肩を照らし、白いシャツの袖が淡く透けて見える。
「おはようございます」
「おはよう。……戻ってくれてありがとう」
「こちらこそ。呼び戻してくれて、ありがとうございます」
悠真は静かに笑い、
瑠奈に資料の束を渡した。
「今日から、また一緒にやろう。新しいプロジェクト、君と組みたい」
「はい。頑張ります」
その言葉の裏に、“信頼”という見えない糸が確かに結ばれている気がした。
⸻
会議のあと、二人は並んで廊下を歩いた。
窓の外には、光に濡れた街路樹。
雨に洗われた葉が、風に揺れている。
「久しぶりに見るね、こんな青空」
「ええ。夜明けのあとって、こんなに眩しいんですね」
一瞬、視線が交わる。
けれど、どちらも言葉を急がない。
沈黙は、もう不安ではなく、
“心を揃える時間”としてそこにあった。
玄関を出ると、
光の庭――あの噴水のある中庭が見えた。
出社前の社員たちが行き交う中、
瑠奈は立ち止まる。
水面に、陽の光が散って跳ねる。
五年前の自分が泣いた場所。
けれど今、その記憶は痛みではなく、
“始まり”として胸の中で静かに輝いていた。
「桐山」
振り向くと、悠真が数歩後ろにいた。
「会議、もうすぐ始まる」
「はい」
一歩近づいて、彼は小さく囁く。
「この光、綺麗だな」
「ええ。……沈黙が、やっと報われた朝ですね」
「そうだな。
あの夜の約束が、今こうして“光”になってる」
ふたりは並んで噴水を見つめた。
光が跳ね、二人の影をひとつに繋ぐ。
“沈黙が終わる時、それは別れではなく、始まりの合図。”
瑠奈は心の中でそっとそう呟いた。
あの日泣いていた少女はもういない。
いま隣に立つのは、
“声を持つ女性”としての自分だった。
そしてその隣には、
同じ沈黙を越えてきたひとがいる。
朝の光がさらに強くなり、
新しい一日が始まる。
二人は歩き出した。
もう何も言わなくても、
――並んで歩く足音が、未来の約束のように響いていた。

