午後の光が、ガラスのカップに反射してゆらめいていた。
カフェの奥の席、窓辺に腰を下ろした瑠奈は、冷めかけた紅茶を見つめる。
東京に戻って二週間。再編プロジェクトが再開し、会議と調整の連続。
けれど今日の約束だけは、仕事でも打ち合わせでもない。

扉のベルが鳴る。
顔を上げると、そこに立っていたのは――西園寺拓也。

スーツの色も、声も、五年前と同じ。
ただ、笑みの奥に少しだけ疲れの影が見えた。

「久しぶりだな、瑠奈」
「……久しぶりです」

彼は向かいの席に腰を下ろした。
沈黙。氷が、グラスの中で小さく鳴った。



「新聞で見たよ。……あの記事のこと」
「ええ」
「ひどい話だ。君は何も悪くない」
「ありがとうございます」

拓也は手を組み、テーブルに視線を落とした。
「俺、君を守れなかったことを後悔してる。
 昔みたいに、何も言わずに見守るだけじゃ、結局誰も救えなかった」

瑠奈は、静かに首を振った。
「あなたの優しさには、ずっと救われていました」
「優しさなんかじゃなかった。
 ――君を“手に入れたい”と思っていた。あの頃も、そして今も」

言葉が空気を裂いた。
カップの中で紅茶の表面が、かすかに波打つ。

「拓也さん……」
「分かってる。君の心に俺はいない。
 でも、あいつ――一条悠真――本当に信じていいのか?」

その名を聞いた瞬間、心が小さく震えた。

「彼は、変わろうとしていました」
「“変わろうとしてる”男を信じて、君がまた泣く姿なんて見たくない」

一瞬だけ、拓也の瞳に過去の温度が戻る。
「君が泣いた日、あいつが何も聞かなかったのを見て、俺は思った。
 もし彼が君を泣かせるなら、俺が連れていくって」

瑠奈は、目を伏せたまま微笑んだ。
「……あの頃の約束ですね」
「覚えてたのか」
「忘れません。
 でも私は、もう誰かに“連れていかれる”側ではいられません」

拓也の指がわずかに動き、握りしめていた手をほどく。



窓の外では、午後の光が少しずつ淡くなっていた。
「じゃあ、こうしよう。君が泣かない限り、俺は距離を取る。
 でも一度でも涙を流したら、今度こそ黙って見ていない」

「……優しいですね」
「違う。往生際が悪いんだ」

二人の間に、静かな笑いが生まれた。
痛みのない、けれど懐かしい沈黙。



別れ際、拓也が立ち上がる。
「次に会うとき、君が笑っていられるなら、それでいい」
「きっと笑っています」

扉のベルが鳴る。
彼の背中が街の光に溶けていった。

瑠奈は残されたカップを見つめた。
紅茶の表面に、淡い影が揺れている。

(信じることも、戦うことも、今度は自分の声で)

カップを持ち上げた指が少し震えた。
その瞬間、スマートフォンの画面が光る。

――《一条悠真:今夜、時間をもらえるか》

指先で画面を撫でながら、小さく呟いた。

「……やっと、言葉で話せる時が来たんですね」