午後の会議室には、柔らかな午後の日差しが差し込んでいた。
春の終わりの光はどこか切なく、
窓ガラスに反射して、三人の影を静かに揺らしていた。
「――こちら、進捗報告です」
瑠奈が淡々と資料を差し出す。
その手は落ち着いているようで、指先がかすかに震えていた。
悠真は資料を受け取り、
真剣な表情でページをめくる。
「完璧だ。……ありがとう」
「いえ。これも、皆さんのおかげです」
完璧な受け答え。
それでも、彼の声を聞くたびに心臓が揺れた。
(――ありがとう、なんて言わないで。
そんな言葉、また私を過去に戻すだけ)
笑顔のまま、瑠奈は視線を下げた。
会議が終わると、
麗華が静かに瑠奈に声をかけた。
「ねえ、少しお茶しない? 時間あるでしょ」
「え……ええ」
近くのラウンジ。
磨かれたガラスのテーブルの上、
紅茶の香りがふわりと漂う。
麗華はスプーンでゆっくりカップをかき混ぜながら、
何気ない口調で言った。
「高校の頃の話、懐かしいわね」
「……ええ」
「あなたと悠真くん、本当に仲良かった。
でもあの頃、拓也くんもあなたのこと……」
「麗華さん」
「ううん、ごめんなさい。昔話、よね」
柔らかい微笑。
だけど、カップの縁をなぞる指先には緊張があった。
「ただ、私は思うの。
人って、過去を引きずったままじゃ前に進めない」
「……そうかもしれません」
「それに、悠真くんはもう“一条グループの顔”よ。
今の彼に、あの頃の感情を重ねるのは――危険」
瑠奈は一瞬だけ息を呑んだ。
麗華の声には、忠告のような響きと、
かすかな嫉妬の色が混ざっていた。
「……わかってます」
「本当に?」
「ええ」
「だったら――その笑顔、上手に保ちなさい。
あなたの沈黙は、時々、周りを不安にさせるから」
言葉の意味が、胸に重く落ちた。
麗華は立ち上がり、完璧な笑顔で去っていく。
テーブルの上に残った紅茶は、
もう冷めていた。
夕方、オフィスの廊下。
窓の外にはオレンジ色の光。
瑠奈はコピーを抱えたまま、
ガラス越しに悠真と麗華が話している姿を見た。
二人は真剣な表情で資料を見ている。
だが、ほんの一瞬――
麗華が何かを囁き、悠真が笑った。
その笑顔を見た瞬間、
瑠奈の胸がきゅっと締めつけられた。
(……まただ。
また、私は“見てるだけ”)
夜。
誰もいないオフィスに残り、
パソコンの光だけが静かに灯る。
資料をまとめ終えた瑠奈は、
画面の中の自分の反射を見つめた。
そこには、完璧な笑顔。
でも、その奥の瞳は、どこか空虚だった。
「“笑ってれば平気”――そう思ってた。
でも、本当は、笑えば笑うほど痛くなる。」
ふと、机の端に置かれた便箋が目に入る。
あの“沈黙の手紙”。
未封のまま、まだそこにあった。
手を伸ばしかけて、止めた。
(……今、開けたら、きっと壊れる)
窓の外では、雨が静かに降り始めていた。
その雨音が、まるで心の鼓動のように響く。
翌朝。
出社した瑠奈を見つけ、悠真が声をかけた。
「昨日のデータ、確認したよ。
本当に助かった」
「いえ……当然の仕事です」
「無理、してないか?」
「してません」
そう言って微笑む。
彼の瞳が少し揺れた。
けれど、もう聞かない。
“泣いた理由”を、
“沈黙の意味”を、
彼は再び確かめようとはしなかった。
そして彼女もまた、
笑顔の仮面の裏で、
ほんとの痛みに口を閉ざした。

