翌朝、桐山ホールディングスの会議フロアは、
春の光を反射して静かに輝いていた。
ガラス張りの会議室の向こうには、
都心のビル群と、風に舞う桜の花びら。
瑠奈は深呼吸をして資料を胸に抱えた。
今日から始まるのは――
一条グループとの合同事業「新都市開発プロジェクト」。
桐山側の窓口として、
彼女がチームリーダーを任されていた。
(仕事だから。過去のことなんて、関係ない)
そう自分に言い聞かせながら、
ドアを開けた。
「おはようございます」
澄んだ声が会議室に響く。
顔を上げた瞬間、視線が交錯した。
悠真は既に着席しており、
その横には来栖麗華。
彼女は以前よりも洗練され、
落ち着いた微笑を浮かべていた。
「桐山さん、お久しぶり。今日からよろしくね」
「……こちらこそ」
短い挨拶。
だが、その声の奥には
互いに隠した“過去”の重みがあった。
悠真が小さく頷く。
「このチーム、三社合同だからな。
立場は違っても、同じ方向を向ければいい」
ビジネスライクな口調。
でも、ほんのわずかに目が逸れた。
瑠奈もまた、視線を合わせることができなかった。
会議が始まる。
スライドの光が壁に映し出され、
プレゼン資料のページが淡々と進む。
「――こちらが再開発地区の設計案です」
「住宅棟と商業施設の融合を目指しています」
言葉は冷静で、声も安定している。
けれど、心臓の鼓動だけが妙に早かった。
悠真の声が聞こえるたび、
五年前の春が蘇る。
光の庭、交わした約束、
そして、あの“遠ざかる背中”。
(私は、もう泣かないって決めたのに……)
彼女の手の中のペンが、かすかに震える。
「――桐山さん」
悠真の声がした。
「この図面、細部の調整はどちらの担当になりますか?」
「……私が担当です」
「じゃあ、後ほど確認させて」
「はい」
事務的な会話。
それなのに、瑠奈の胸は苦しく締めつけられた。
麗華が、静かに二人を見ていた。
穏やかな微笑のまま、
ペン先でメモを取りながら。
(やっぱり、気づいてる)
――そんな予感が、瑠奈の中に走る。
会議が終わったあと、
麗華が声をかけた。
「瑠奈ちゃん、少し話せる?」
「はい」
二人は窓際へ移動する。
「高校の頃以来ね。あの時、あんなに仲良かったのに」
「……そうですね」
「懐かしいわ。
でも、悠真くん、ずいぶん変わったでしょ?」
「ええ……大人になりました」
麗華は唇の端を上げた。
「あなたも。
でも、“変わらないもの”ってあると思う?」
瑠奈は一瞬、言葉を失う。
「――沈黙のまま、時間を止めること。
あなたは、昔からそれが上手だった」
「麗華さん……」
「心配しないで。今はもう敵じゃないわ。
でも――“彼”の隣に立つ覚悟がある人だけが、
本当の意味で彼と並べるの」
その言葉は、柔らかく包まれた棘だった。
麗華が去ったあと、
瑠奈はしばらく窓の外を見つめていた。
街の風景の向こうに、
高校の校舎が霞んで見えた気がした。
その日の夜。
自宅で書類を整理していると、
机の上に一通の封筒があった。
白い便箋、黄ばんだ角。
五年間、しまっていた「沈黙の手紙」。
『どうして、こんな気持ちになるのか自分でもわからなくて……』
文字をなぞりながら、瑠奈は呟いた。
「……もう、わかってる。
好きだった。ずっと――あの人が」
窓の外、夜の街に灯りがともる。
過去の沈黙が、
今、少しずつ音を取り戻そうとしていた。
春の光を反射して静かに輝いていた。
ガラス張りの会議室の向こうには、
都心のビル群と、風に舞う桜の花びら。
瑠奈は深呼吸をして資料を胸に抱えた。
今日から始まるのは――
一条グループとの合同事業「新都市開発プロジェクト」。
桐山側の窓口として、
彼女がチームリーダーを任されていた。
(仕事だから。過去のことなんて、関係ない)
そう自分に言い聞かせながら、
ドアを開けた。
「おはようございます」
澄んだ声が会議室に響く。
顔を上げた瞬間、視線が交錯した。
悠真は既に着席しており、
その横には来栖麗華。
彼女は以前よりも洗練され、
落ち着いた微笑を浮かべていた。
「桐山さん、お久しぶり。今日からよろしくね」
「……こちらこそ」
短い挨拶。
だが、その声の奥には
互いに隠した“過去”の重みがあった。
悠真が小さく頷く。
「このチーム、三社合同だからな。
立場は違っても、同じ方向を向ければいい」
ビジネスライクな口調。
でも、ほんのわずかに目が逸れた。
瑠奈もまた、視線を合わせることができなかった。
会議が始まる。
スライドの光が壁に映し出され、
プレゼン資料のページが淡々と進む。
「――こちらが再開発地区の設計案です」
「住宅棟と商業施設の融合を目指しています」
言葉は冷静で、声も安定している。
けれど、心臓の鼓動だけが妙に早かった。
悠真の声が聞こえるたび、
五年前の春が蘇る。
光の庭、交わした約束、
そして、あの“遠ざかる背中”。
(私は、もう泣かないって決めたのに……)
彼女の手の中のペンが、かすかに震える。
「――桐山さん」
悠真の声がした。
「この図面、細部の調整はどちらの担当になりますか?」
「……私が担当です」
「じゃあ、後ほど確認させて」
「はい」
事務的な会話。
それなのに、瑠奈の胸は苦しく締めつけられた。
麗華が、静かに二人を見ていた。
穏やかな微笑のまま、
ペン先でメモを取りながら。
(やっぱり、気づいてる)
――そんな予感が、瑠奈の中に走る。
会議が終わったあと、
麗華が声をかけた。
「瑠奈ちゃん、少し話せる?」
「はい」
二人は窓際へ移動する。
「高校の頃以来ね。あの時、あんなに仲良かったのに」
「……そうですね」
「懐かしいわ。
でも、悠真くん、ずいぶん変わったでしょ?」
「ええ……大人になりました」
麗華は唇の端を上げた。
「あなたも。
でも、“変わらないもの”ってあると思う?」
瑠奈は一瞬、言葉を失う。
「――沈黙のまま、時間を止めること。
あなたは、昔からそれが上手だった」
「麗華さん……」
「心配しないで。今はもう敵じゃないわ。
でも――“彼”の隣に立つ覚悟がある人だけが、
本当の意味で彼と並べるの」
その言葉は、柔らかく包まれた棘だった。
麗華が去ったあと、
瑠奈はしばらく窓の外を見つめていた。
街の風景の向こうに、
高校の校舎が霞んで見えた気がした。
その日の夜。
自宅で書類を整理していると、
机の上に一通の封筒があった。
白い便箋、黄ばんだ角。
五年間、しまっていた「沈黙の手紙」。
『どうして、こんな気持ちになるのか自分でもわからなくて……』
文字をなぞりながら、瑠奈は呟いた。
「……もう、わかってる。
好きだった。ずっと――あの人が」
窓の外、夜の街に灯りがともる。
過去の沈黙が、
今、少しずつ音を取り戻そうとしていた。

