嘘と欲求

 衝動に突き動かされるがまま、翔真は足を踏み出した。伊織の席に照準を合わせる翔真の瞳孔が開いた。呼吸が荒くなった。心音が近かった。唇が乾いた。舌先で舐めて濡らした。熱い息が漏れた。一歩、また一歩、伊織の席へ近づいた。

 たった数日、我慢していただけ。それだけなのに、予想以上に反動は大きかった。今ならまだ間に合う、引き返すべきだと分かっていながらも、翔真は自分で自分を止められなかった。教室に誰もいないことが、体育が終わるまでは誰も帰ってこないことが、翔真の背中を強く押していた。

 授業に間に合わないかもしれないだとか、厳格な体育教師に叱咤されるかもしれないだとか、生徒にサボりだと責められてしまうかもしれないだとか、そんなことは今はどうでもよくて、ただ目の前にある、喉から手が出るほど欲しいものを入手したい一心だった。息が詰まりそうなくらいのリスクを冒してでも、翔真は伊織の情報が欲しくてたまらなかった。

 伊織の机の側で、ゆっくりと足を止めた。手の届く距離に迫った数々の誘惑を前に、くらくらしてしまいそうなほど息が上がっていた。痛いくらいに激しく鼓動が早鐘を打っていた。

 翔真は机上に置かれた、伊織の着ていた制服を見下ろす。意外にも、畳み方は雑だった。適当に丸めて適当に置いただけのように見える。思わず手を伸ばした。指先が小刻みに震えていた。恐怖からではなかった。恐怖は感じていなかった。

 これだけ形が崩れているのであれば、こちらが多少手を加えても気づかれる心配はないのではないか。誰も自分の制服を触ろうと企む人間がいるとは思うまい。

 でも、もし、と翔真の中で仮定の話が頭に浮かぶ。でも、もし、気づかれたら。気づかれてしまったら。分かっている。どうなるかなど。分かっている。でも。抑えられない。止められない。

 伊織を知りたい。何でもいいから。どんな些細な事柄でもいいから。伊織を知りたい。それだけだ。それだけなのだ。たったそれだけのことで、翔真は一線を越えてしまう直前まで来てしまっていた。