嘘と欲求

「来てくれないかと思った」

 ついてきていなかった翔真に気づいた伊織が戻ってきていた。蹴躓いた場面を見られてしまったのではないかと居た堪れなくなったが、伊織の表情には嘲笑も、かといって心配もない。顔に出ない人であれば分からないが、恐らく見られてはいないはずだ。

 翔真は至って普通に教室を出たばかりの体で伊織と向き合った。伊織が翔真に背を向けて歩き出す。翔真は緊張感を胸に、もう一度同じ道を辿る伊織の後を追った。

 伊織が向かった先は、階段途中にある踊り場だった。生徒がよく通る道ではあるが、今のところ人気はない。階段の上または下から人が来ても見える位置ではあるため、人影があったら口を閉ざして通り過ぎるのを待つことはできそうである。

 先導していた伊織が徐に振り返り、じっと翔真を見据えた。内に秘めたものを見透かそうとするかのような鋭い眼差しに、翔真は目を逸らして尻込みした。睨んでいるわけではないだろうに、睨まれていると感じるくらいには、顔の良い人のストレートな視線は迫力がある。

 一目散に逃走を図りたくなった。今度は階段に躓く未来が頭の片隅にちらついた。目立った段差のないレールに引っかかったのだ。今の翔真の精神状態であれば、階段に躓くのは十分にあり得る話であった。

 刃物を突きつけられているかのような緊迫感の中、空気が揺れる微細な変化を敏感に察知した。翔真は息を詰めた。伊織が息を吸った。言葉を発するための呼吸であることを、神経が過敏になっている翔真は感じ取っていた。

 伊織の唇を見た。開いた。口下手な翔真に、関係ない別の話をして本題に入らせないようにする術はなかった。抵抗できないまま、一撃を喰らう他ない。

「俺の勘違いかもしれないけど、西原、俺のことつけ回してる?」

 まっすぐ核心を突かれ、視界がぐにゃりと歪んだ。突きつけられていた刃物が、想定通りの位置に迷いなく突き刺さった。反動で身体がふらふらしてしまいそうになった。予想できていたのに、いざ指摘されてしまうと生きた心地がしなかった。