嘘と欲求

 普通にしていればいいのに何一つ普通にできない翔真の前を、眉一つ動かさない冷静な伊織が颯爽と通り過ぎていく。声はかけなかった。かけられなかった。二人はそういう関係だった。クラスメートであっても距離がある関係だった。

 レジで会計をする伊織から気まずさは感じない。変に焦っているのは翔真だけで、店内にいる客の中でも翔真だけだった。

「二冊とも、カバー付けてもらえますか」

 滅多に聞くことのない伊織の声を、耳が素早くはっきりと拾った。トーンが一定で抑揚のない声。挙動不審になっている翔真を前にしても、声も顔も一切変化がない。学校で見ている伊織と何ら変わりがない。

 伊織とのあまりの温度差に、人目のある場所で自分だけが動揺している事実が途端に恥ずかしくなった。尻尾を巻いて逃げ出したくなったが、すんでのところで思い止まる。伊織は今まさに、本の代金を支払おうとしているのだ。翔真は息を吸って吐いた。落ち着け。落ち着け。これは、千載一遇のチャンスだ。

 幾分か冷静さを取り戻した翔真は、無口な親友を待つふりをして、さりげなく本の表紙を見ようとした。だが、カバーを付けている店員の手元は、ここからでは死角になってよく見えない。次に伊織が商品を受け取った時には、見慣れた憎きカバーが本を守っていた。せっかくのチャンスだったのに、予想外の展開に流されてしまったせいでものにできなかった。

 不甲斐なさに溜息が漏れたが、全てが計画通りにいくわけではない。本を買った伊織も後はまっすぐ帰宅するだろう。今日はここで切り上げるのが賢明だ。

 書店まで後を追えただけでも良しとした翔真は、最後まで伊織と一言の会話もなく店を出た。

 購入したシャーペンを見下ろし、買わない方がよかったのかもしれない、とひょっこり顔を出しそうになった後悔を慌ててぶん殴ってぶっ飛ばす。ゆっくりと息を吐いて気持ちを切り替え、元を取るべく此奴を利用しまくろう、と翔真は伊織と揃いのシャーペンを強く握り締めた。