その言葉が耳の奥で響いた瞬間、周囲の音が遠のいた。
教室の喧騒も、先生の声も、全てが霞んでいく。
遠くの方からパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
「……契約?何それ。魂を売るとか、そういうの?」
昔に見た自分の魂と引き換えに、願いを叶える映画を思い出した。
「はは、売るって表現は古いな。まぁ似たようなもんだけど」
少年は軽く笑いながら、服のポケットから黒い封筒を取り出した。
まるで墨を染み込ませたように、紙はじっとりと黒光りしている。
「これが契約書。“未回収魂一時保全契約”ってやつ。お前を冥府で保護する代わりに、俺の監視下で生きてもらう」
「監視下……」
「つまり、俺の仕事を手伝ってもらう。なかなか良い条件だろ?」
彼の声は軽い調子なのに、その奥に何か決して抗えないものを感じた。
まるで、世界の仕組みそのものが、彼の言葉に従っているような――。
「お前さ、死ぬのは勝手だけど、放っとくと、迷惑なの」
(そんなこと言われても、事故だったし......不可抵抗力......)
「迷惑って……誰に?」
「冥府の管理局。渋滞しているんだよね」
「……?」
「死ぬ人が多すぎて処理追いつかないんだよ。で、たまにお前みたいに“未処理データ”が出る。で、俺が拾いに来る」
「……はぁ」
そんなこと言われても、と正直思う。
とりあえずここじゃなんだからと、普段誰も使わない空き教室に移動する。
「さて。契約は完了したけど、まだ問題が一つある」
「問題?」
「お前の体。現世に置いてきただろ。壊れた魂を安定させるには、新しい“器”が必要なんだよ」
「器……って、つまり体?」
「そ。......理解早いな」
ジャーンと彼がブルーシートをバッと取り外すと、床に並べられているのは五人の少女だった。
年の頃はみな、私と同じくらい。
整った顔立ちで、どの子もまるで眠っているように穏やかだった。
「さて、この遺体の中から好きな器を選んでね」
「……は?」
「これでも冥府に掛け合って、お前と同い年くらいの遺体を選んだんだよ。条件揃えるの大変だったんだから」
「……うわっ」
軽く引いた。
「ま、安心しろ。この子達の魂は天国で元気にしてるし、本人達から「良いよ〜!」って、許可もちゃんと取ってある」
「軽い……」
(軽すぎるよ!)
仮に私がもし自分の遺体を誰かが使うけど良い?って聞かれたら、まず拒否すると思う。
いや、だってねぇ......。
彼は肩をすくめ、まるで「そう言うと思った」とでも言いたげに笑った。
「まぁ、普通は引くよな。でも、これが一番“安全”なんだよ。それともあれか?さっさとあの世の行きたいのか?」
「……あの世って」
思わず引き気味に呟くと、彼はひらひらと手を振った。
「心配すんなって。俺だって趣味でやってるわけじゃないし。こういうのは仕事なんだよ、“回収屋”の」
「回収屋……って、あんたが?」
「そうそう。名前は(れい)。肩書き的には『冥府管理局第七課・特別回収官』ま、あの世の中間管理職って訳。分かった?」
そう名乗ると、黎くんはどこか誇らしげに胸を張った。
「で?どうする?放っとくとお前の魂、存在ごと消えるぞ。そしたら天国にも地獄にも行けない。そんなの、寂しいだろ」
「……脅してない?」
「事実を言ってるだけ」
「……ねぇ、黎くん」
「ん?」
「もし私が、もう一度生きたら……何のために生きれば良いの?」
問いかけた自分の声は、風みたいに頼りなかった。
けれど黎くんは、その目を細めて微笑む。
「そんなの、これから探せば良い。俺も長らくこの仕事をしているが、大抵は自分や愛する人の為に生きてる人間がほとんどだ」
目を伏せ、私は並べられた体を観察する。この中の誰かが、私になる......。
「......じゃあ、この子」
黒髪の少女を指さす。とても整った顔立ちをしている。
「よし、決まりだな」
その言葉を最後に、私の意識はそこで途切れた。