「ん、なにか言った?」
 「あぅ、な、なんでも……」

 そう。
 フィオナさまの意中の方とは、王子さま。
 この国、イーディエール王国の第二王子、ライエル殿下に違いないのだ。

 フィオナさまは、想いびとの名をなかなか教えてくれなかった。でもある日、用事で書庫から出たわたしは、見てしまったのだ。
 書類を抱えて廊下を曲がったわたしの少し先、柱の陰にフィオナさまの姿があった。声をかけようとしたが、彼女の視線に気づいてわたしは声をつぐんだ。
 向こうの講堂から出てきた何人かの生徒たち。フィオナさまはそちらを、熱に浮かされたような表情で見つめていたのだ。
 たくさんの取り巻きたちに囲まれ、いかつい護衛の騎士を伴っていたのは、ライエル殿下だった。
 輝くような白金の髪、細身ながら意思の強そうな顎筋、穏やかな光を湛えた薄青の瞳。その美麗な姿とフィオナさまを見比べて、わたしは咄嗟に逃げた。なんで逃げるのかは自分でもわからなかった。
 大書庫に走りもどって、わたしは机の下に隠れ、震えながら頭を抱えた。
 まじか。
 ほんとにか。
 どうしよ、これ。ぜったい無理なやつじゃん。

 でも、もちろんそんなことはおくびにも出さない。
 訪ねてくるフィオナさまに、わたしはいつでも全力で応援する言葉を贈ったし、手を握って励ました。その気持ちに偽りはない。フィオナさまならどんなお相手でも、その隣に立つ資格があると信じたし、いまでも信じてる。
 信じてる、けど……。

 「……わたしも、莫迦だった。学院に入りさえすれば、きっとお近くに寄らせていただく機会も、お話しする機会もあるだろうって。でも、甘かった。そううまくはいかないよね」

 寂しそうに言いながら、フィオナさまは鞄から何冊かの本を取り出した。この国に伝わる神話の本。神々の恋の逸話が、とくに彼女はお気に入りだと言っていた。

 「これ、返却します。長い間お借りしててごめんなさい」
 「ま、まだ、もも持ってても……」
 「ううん。今日、返さなきゃだめなんだ。あのね、わたし……」

 聞きたくない。
 そう思って、目を逸らした。耳をふさぎたかったが、それはしなかった。

 「明後日、辞める。学院。実家に戻る」