じっと顔を見ていると、物思いにふけるように拳に顎を置いていたシリウスさまの背が揺れた。揺れたまま、固まる。わずかに震えだす。しばらくしてからぎこちなくわたしの方に顔を振り向ける。傷の残る額が大量の汗に濡れている。

 「……聴いた、か?」
 「……」
 「……いや、聴こえてなければ、よい」

 わたしはしばらく黙り、ぼそりと声を出す。

 「……決めたんだ。このひとこそ、殿下にふさわしいって。だから自分は身を引く。フィオナ殿の幸せこそが自分の喜びだ。山嶺に陽が沈むたびに、夜の街の灯を望むたびに、自分は彼女の眼差しを想うだろう。その想いは、永遠に……」
 「そこまで言ってない!」

 シリウスさまががたりと椅子を揺らして立ち上がる。しばらく肩で息をしていたが、わたしのじっとりした視線を浴びて観念したのだろう。どさりと腰を落とし、首を垂れた。

 「……ああ、そうだ。自分は、フィオナ殿に惚れていた。ずっと、ずっとだ。あのひとが入学してきたときから。あの暖かい微笑みを見かけたときから。彼女はいつも遠くからこちらを見ていた。その視線が自分に注がれればいいと、自分を見てくれればと、ずっと願っていた」

 ……う、ううううう?

 「だが、違うんだ。彼女が切なげな視線を向けていたのは、ライエル殿下。わかってる。わかっていた。が、諦めきれなかった。ああ、主を想うひとに横恋慕するなど、騎士の恥だよ。笑ってくれ」
 「あ、あの、それ……」
 「それでも、諦めた。きっぱりと、今度こそ。自分は王の騎士だ。殿下の盾だ。武の道だけに生きる。その道で、フィオナ殿の力になる。そう、決めたんだ」

 顔を上げ、わたしに向ける。なにかを振り切っちゃった、きらきらと晴れやかな笑顔。いやいやちょっと待って。チャンスあるよ。めっちゃあるよ。というかもうできあがってるし。
 言いたいことがありすぎるが、むろん言葉なんてでてこない。あにゅおにゅと手を振り回してなにかを訴えるわたしに、シリウスさまは目を細めてみせた。

 「フィオナさまが足繁く大書庫に通われていたのは知っている。そして君が、彼女のよき友人としてずっと支えてきたことも。だから、これから協力してほしい。殿下のお心を彼女に向けるために」
 「……は、う」
 「今日は、ここまでにしておこう。最後に余計な話をしてしまった。これ以上は君の仕事の邪魔をするわけにはいかない」

 そう言って立ち上がり、くるりと向こうを向いて、重い靴音を響かせて歩き出した。が、すぐに立ち止まる。しばらく天井のほうを眺めていたが、やがて肩越しにこちらに視線を寄越した。

 「……そうそう、ライエル殿下がある女性を探されている。謎めいた白装束の女性だ。次の花誓(かせい)の宵に指名したいと仰っている。が、今のところ、彼女の正体に気づいているのは自分だけだ。だから、きっと彼女は身を引くだろうし、協力してくれるだろう。正体を王室に報告はされたくないだろうからな」

 そうして、鋭い目元を撓めてみせる。

 「な。大書庫の、美しき白薔薇さん」

 それだけ言い置いて、手を上げて出ていった。

 彼がやってきたのは朝だったはずだ。
 が、その場で膝を折って崩れ落ちたわたしが目覚めたとき、最初に見えたのは明かり取りの向こうの満月だった。
 できれば、永遠に気絶していたかった。

 助けて。
 フィオナさま。


 <第一章 了>