そうだ。フィオナさまは結局、想いびと、殿下とはひとことも話せてない。あの騎士が間に入っちゃったから……誰だっけ、あの騎士。脳内人名録を探る。ええと……。

 『……シリウス・エルヴァイン……伯爵令息にして、近衛騎士団所属』

 思わず口からその名を零すと、フィオナさまがびくんと揺れた。両手で口元を隠し、しばらく動悸をこらえるように肩を揺らしていたが、やがてゆっくりと手を下した。真っ赤な顔を横に向け、小さく頷く。

 『……はい。そうです。シリウスさま。わたしがずっと、ずうっとお慕い申し上げていた方。ようやく、お言葉をいただくことが叶いました。あなたのおかげです』

 ……はい?

 『だから……わたし、頑張ります。シリウスさまにちゃんと気持ち、伝えられるように。素敵な女性になって、花誓《かせい》の宵で、お花をいただけるように。それと……』

 いやいや。待って。え。なに。どゆこと。
 全身が硬直してまったく動けないわたしに、フィオナさまはふふっと柔らかく、おおきな笑顔を浮かべてみせた。

 『それと、殿下に真っすぐにお気持ちを向けられた、あなたのことも見ていたいから。殿下に……恋を、されてますよね』

 ぴしり。
 心臓にひびが入った。でかいやつが。

 『あなたの恋も、全力で応援したい。させてください。あなたと殿下、おふたりが互いを見る表情、思いあいかばいあうお姿、本当に素敵でした。わたしは……殿下のお隣に立つあなたが、見たいのです』

 よろりと足元が揺らいだ。扇を持ち上げ、なんとか口元だけを隠す。そうしていないと砕けた心臓が口から飛び出てしまう。
 なに、これ。なんで。嘘でしょ。
 もう、世界がわからない。わたしの知ってる世界じゃない。夢なら覚めて。

 『……ごめんなさい、勝手にひとりで喋ってしまって。お名前は伺いません。殿下にこっそり教えておられた、素敵なふたつ名、呼ばせてください』

 そういって、くるりと踵を返す。でもすぐに振り返り、いたずらっぽく眩しい笑顔を作って手を振ったのだ。

 『またすぐに、お会いできますよね。白薔薇、さま』

 軽やかに去ってゆくフィオナさまの背を呆然と見送ってから、ずり、ずり、と、足を引き摺るように動き出した。瀕死の身体を地下の大書庫まで運ぶ。書庫の結界を潜り、書棚の間を通って、寝室として使っている作業部屋に入り、ぼふりとベッドに倒れた。頭から毛布を被る。寒くもないのに震えが止まらない。
 そうしてまんじりともしないまま、朝を迎えたのだ。