頭のすぐ上から声が聴こえる。
 瞑っていた目を薄く開ける。真っ暗……? いや、違う。黒い生地だ。金の刺繍が入った装束に、わたしは顔を埋めている。
 上半身をゆっくりと捻るようにして声のもとを振り仰ぐ。
 こぶし二つ分ほどを隔てて目の前にあるのは、ふたつの瞳。
 薄青の瞳が案ずるようにわたしを見下ろしている。白金の柔らかい前髪がはらりとその端正な目元に落ちてきた。視線が正面から絡み合うと、相手の瞳はまぶしそうにわずかに細められた。
 なんだか、いい匂いがする。

 わたしのなかの人物図鑑から、その美しいかんばせに該当するひとを大急ぎで検索する。見つからない。いや、探すまでもなくわかってるけど、ありえない。ありえないから、ぐるぐると脳内検索が回り続ける。
 倒れかかったわたしを支えるように抱き止めているのが、鼻先の触れそうな位置でわずかに微笑を浮かべているのが、第二王子、ライエル殿下だなんて。

 動けない。
 表情すら変えることができない。
 瞳を逸らせずにいるわたしの耳元に、殿下はゆっくりとその端正な唇を寄せてきた。ちいさく、ちいさく、吐息のような囁き声をわたしに向ける。

 「……君は、誰だ」
 「……」
 「なぜ、知っている。あの言葉を。王家の一部にしか伝承されていない、銀の魔女の伝承……この国の、開国の秘密を」

 ごめんなさいなんですかそれ。
 ようやくわずかに動かせた顔を左右に小さく振る。だって知らないもん。ただ、表情が変わっていない。殿下の瞳を正面から見据えたまま、挑むような薄笑いを浮かべたまま、わたしは謎をかけるように首を振ってみせたのだ。
 殿下はわずかに目を見開いたが、すぐに表情を緩めた。なにかを言いかけたが、別の声がそれに被さった。

 「……ちょっと、なにしてるのよ! 殿下から離れなさい!」

 ぐい、と身体が動く。
 令嬢のひとりがわたしの腕を握り、乱暴に引っ張ったのだ。わたしはバランスを崩して斜めに倒れかけたが、支えている殿下も同様だ。たいへんな無礼に当たると思うのだが、顔を真っ赤にして吠え立てている女豹には状況が判断できないのだろう。
 二人まとめて倒れる、と思った、その時。

 「やめなさい」

 令嬢の肩に手がかかった。
 眉根をきゅっと寄せたフィオナさまが伸ばした腕は、わずかに震えている。いまにも泣きだしそうな表情。でも、その目はまっすぐに相手に向けられている。

 「無作法です。裾を踏んだのはあなたでしょう。あなたが身を挺してでも支えるべきでした。なのに、恐れ多くも殿下にご助力をいただいて、あまつさえ手を出して引き剥がそうとするなど。恥を知りなさい」