翡翠の一輪花【完】


***




「────翡翠!!」



後ろから、葵の叫び声が聞こえた。

………振り返っちゃダメだ。
今振り返ったら、終わってしまう。


そう、頭では理解していたのに。



気が付けば足はピタリと止まり、後ろを……葵の方を、振り返っていた。





「……待てよ」


離れて行ってしまう何かを繋ぎとめるような、必死な声。


さっきまでの冷たさも、鋭さもない。
ただただ、必死だった。



一歩。
また一歩。


距離が縮まるたびに、時間がゆっくりになっていく気がした。



逃げなきゃいけないのに。
────動けない。


呼吸だけが、やけに大きく響く。










そして────。


ふいに、身体ごと引き寄せられる。



「……っ」


驚く間もなく、私は葵の腕の中にいた。


強く、でも壊さないように。

ただ確かめるみたいに、抱きしめられている。




「……もう、俺のそばから離れるな」


低い声が、すぐ耳元で落ちる。


───その声は、かすかに震えていて。

私は何も言えないまま、その腕の中で息を止める。








「ずっと、俺の隣にいろ────」


その言葉が落ちた瞬間。
胸の奥が、静かにほどけた。




――離れたかったのに。

――離れたくなかった。




矛盾したまま、涙だけが遅れて滲んでいく。