警察官がやって来てその姿を見たときは、助かったんだなと安堵した。
 でもそれからが長くて。詳しくどんなことがあったか、根掘り葉掘り聞いてくるんだよね。
 人相はとか、背丈は、声は若かったか、路上に車が停めてあったかとか。

 わたし、ぜんぜん覚えてないの。管轄の警察官総動員で捕まえてって頼んだんだけど、手がかりになるようなこと、なんにもいえなくて。
 だって、こんなことになると思わないから、犯人が徒歩で逃げたのか車で逃げたのか、そんなこと、わかんないよ。
 帰るころにはぐったり。照瑠にも申し訳なかったよ。

 ばぁばだって大変な思いをしたよね。ぎっくり腰で歩くこともつらそうで。
 だから、ママが入院を勧めたんだ。ごはんをつくらなくてもいいし、転んでも誰かが助けてくれるだろうからって。
 ばぁばは大げさだといったけど、なにより病院はひとりでも安全な場所だよって、わたしが言いそえたら納得したみたい。
 しばらく入院することになった。病院の人たちも事件を知って同情的で優しい。
 そんなわけで今日もわたしはお使い。ばぁばの身の回りの物とちょっとしたお菓子を持って。

 ママがお金を準備していなかったからメッセージを送る。
『食器棚の小さな引き出しを探して』
 と返ってきた。
 引き出しを探していると、みょうなカードを見つけた。手のひらくらいの大きさで、文字が書いてある。

『あかずきんは お使いを頼まれて おばあさんのおうちへ行きました』

 なんだこれ。
 裏に返すとステンドグラスのようなキラキラとした模様がついていた。
 ばぁばの家で見かけたカードもこんなかんじだった。絵の雰囲気が似ている。いわれてみれば、描かれていたのは赤ずきんちゃんだった。カゴバッグを抱え、野原で花を摘んでいた。

「なんだか、わたしみたい」
 お見舞いに行くのに寄り道をして、遅くなってしまった。そのあいだにばぁばは強盗に襲われたのだ。
 もっと早くに行ってたら……。
 家の中に複数の人間がいると知り、強盗もあきらめて侵入することもなかったのかな。
 そこへ助けに来てくれたのが警察官――いや、照瑠かな。照瑠が猟師だよ。
 猟師が赤ずきんとおばあさんを救い出す。
 そんなふうに『赤ずきん』の物語にはめ込んで、ちょっとなごんだ。本当に助かってよかったよ。


 ばぁばもひどい暴行を受けたわけじゃなかったから、元気そうだった。
 病院の個室でひとり、ヒマだわと軽口を叩いた。
「年寄りはずっと動きっぱなしの方が楽なもんだよ。一度止まると、もう一度動き出すのがかえっておっくうで」
「そうなの?」
「若い人たちは頑張ることがよくないことだっていってるけど、我々がのんびり怠けていたら、あっという間に衰えていくもんだよ」
「ふぅん」

 あんまりピンとこないが、年を取ってもひとりで暮らせるのはいいことだ。
 強盗に入られても泣き言をいわないし、とても強い人。
 当座の生活費は奪われたが、大事な物は銀行の貸金庫に預けてあるという。クレジットカードは盗難保障があり、ATMでも1日に下ろせる上限を10万円にしてるから、もし使われていてもそんなに大きな被害はないらしい。

 わたしはそれでもくやしかった。時間が経てば経つほど恐怖が薄れてくやしくなる。
 命あっただけでもよかったねって、それはそうなんだけど。とった物を全部返して、ちゃんと捕まってほしい。
 でも、ばぁばは「お天道様がちゃんと見てるよ」なんて、昔話に出てくるおばあさんみたいなことをいうから驚いた。
 お天道様は犯人を捕まえてくれないよ?

「しかしまぁ、柚香ちゃんとこうやってお茶できるのは得した気分だけどね」
 ばぁばはうれしそうにお菓子をほおばった。でも、わたしはちょっぴり心が痛む。
 このお菓子はばぁばとよく食べた。近所のケーキ屋さんで売ってる、落花生のあんを包んだパイで、ちょっと高いお菓子なのだ。ママから軍資金をもらっているので山ほど買った。
 わたしも、成長してからは、ばぁばとあまり会わなくなってしまっていた。
 ひとりはやっぱり寂しいよね。

 落花生パイを3個食べたときだった。
 病室をノックする音が聞こえた。ばぁばが「はい」と返事する。
 現れたのはスーツに身を包んだ男性だった。50歳前後だろうか。白髪がちらほら見えるが清潔感のある人。医師ではなさそうだった。

「いま、よかったですか」
「ちょうどよかった。孫の柚香です」
 ばぁばに紹介されて小さく頭を下げる。
「ああ! 柚香さん。私、弁護士をしている羽田といいます」
 人懐っこい笑顔で中へ入ってくる。今回の件でなにか依頼をしていたのだろうか。

 するとばぁばはわたしに顔を寄せていたずらっ子みたいにつぶやいた。
「ママと同級生」
「ええ!?」
 羽田さんの顔をまじまじと見てしまった。ママよりも年上に見えていた。

 それより、同級生に弁護士がいるなんて。
 ママは短大を出て結婚するまではバイトで食いつないでいたというくらいだから、そのころの同級生ではなさそうだ。小中学生のころくらいかな。

「狭い世の中よね」
 ばぁばは笑い声を上げる。ずっと地元に住んでいたらそういう偶然もありそうだった。
「羽田さんにはね、遺言をお任せしようと思っているのよ」
 いきなりのことで、なにから聞き返していいのかもわからない。
 遺言というのは、遺書とは違うよね? 死にたいと思っているわけじゃないだろうけど……

「前から相談をしてたのね。こんなことにもなったし。いつ死ぬかもわからないから、ちゃんと身辺整理はしておきたくて」
「そんなこといわないでよ。まだまだでしょ」
「準備しておくに超したことはないの。それに、これは、私の最後の気持ちを伝えるものだから」

 ばぁばって、弁護士に頼むほど財産を持っているのかな。
 だけど、ママは一人っ子だ。もめることなんてない。
 ということは、ばぁばは別の誰かにあげたいという意思があるってこと?
 誰かにだまされてないよね?

 ヘタなことはいえないし沈黙していると、静かな病室内でスマホの着信音が鳴り、ビクッとした。
 わたしだ。見るとママからのメッセージだった。
「ママ、帰ってきたって。こんなに早いなら来ればいいのに。家にいるって」
 ばぁばは時計を見上げた。
「こんな時間か。もう帰った方がいいわね」
 わたしはばぁばにうながされて病室をあとにした。


 もう少しいればよかったかな。どんな話をするんだろう。
 ママに羽田という同級生がいるのか、聞くだけ聞いておこう。遺言書の話もたぶん知らなそうだから。
 家に帰るとすぐに夕ご飯だった。レトルトのビーフシチューと、スーパーで買ってきたカットサラダ。ドレッシングを切らしてしまったというので、マヨネーズをかける。
 いつも通りの味。変わらずにおいしい。

 ママはばぁばが元気だったかも聞いてこないで黙々と食べている。
「ねぇ、ばぁばの話、聞きたい?」
「どっちでもいいよ」
 それが「どうでもいいよ」に聞こえて、いっしゅん声がつまった。
 ばぁばがそうすることを幸せに思って死んでいくのなら、たとえ他人から見てだまされていたとしても、それでいいのかもしれない。
 だけどやっぱりばぁばのことが心配だ。だってまだまだばぁばは元気だし、死ぬ前にお金をむしり取られていたらかわいそう。

「あのね、弁護士が来てたよ」
 切り出すと、ママは食べる手を止めた。
「弁護士? 強盗の件で民事訴訟を起こすのかな。でもまだ犯人が捕まったとは聞いてないけど」
「遺言の件だって」
「遺言!?」
 やっぱり、聞いていなかったようで、ママは目を丸めた。

「遺言ってなんなの。その弁護士から名刺もらってきた?」
「ママの同級生だっていってたよ。羽田さん――男の人ね。したの名前までは知らない」
「羽田、羽田……羽田って、あの羽田くん?」
「知らないよ」
 ママはスマホでなにかを調べ始めた。

「なにしてるの」
「ばぁばが相談するなら、きっとこの近辺にある弁護士事務所でしょ。羽田くんを探して話を聞かないと」
「ばぁばと話すのが先じゃない? ってか、守秘義務ってやつがあるんじゃない?」
「なにいってるの。私は実の娘よ。知る権利がある」

 あたかも当然のように言ってるけど、わたしはママが親だからって、自分のすべてを知られたくはない。
 照瑠のことだって、いちいち文句をつけられたくはなかった。きっかけはネットでも、絆をきずいていければどんな出会い方でも変わらない。家族以外はみんな最初は『知らない人』なんだから。
「ああ、もう面倒なことばかり」
 ママはブツブツ文句をいいながらスマホばかりを見ていた。


 そりゃあわたしだって自分の時間を奪われるのはイヤだけど。
 それにしたってひどくない? ばぁばぁに対して冷たすぎるよ。
 照瑠にグチりたかったが、それはやめておく。ウザいと思われたくはない。

 だからいつものとおり、好きなアニメの話題をメッセージアプリでやりとりする。
 ひまなときでいいからねって、はじめからいってるの。向こうは大学生だから勉強もバイトも友達の付き合いとかサークルだとか、すごく忙しそうにしているから。

 きのうの配信とか、この前の映画だってまだまだ話せる。ぜんぜん尽きないんだ。照瑠からの返事は的確で好みが合う。
 でも、ちゃんとわきまえてるよ。わたしたち、まだ正真正銘付き合ってるってわけじゃないから。
 深夜にちょこちょこっとやりとりして、おやすみのスタンプを押す。

 推しのぬいぐるみに囲まれたベッドにもぐった。
 キャラクターたちは理想の極み。こうであってほしいを裏切らないよねって照瑠と解釈一致がうれしい。
 わたしはいやしの中で眠りに落ちた。