初夜から一週間、琴音の生活は完全に「神楽坂蓮の妻」としての訓練に支配されていた。昼間は真柴によるマナーと教養の猛特訓。夜は蓮による、契約に基づいた情熱的な抱擁。

蓮は昼間、琴音の首筋や腕に残った痕を注意深く見つめ、「隠蔽は完璧に」と低い声で命じた。しかしその目には、痕跡が見えないことに苛立つような、複雑な独占欲が宿っていた。

そして、その一週間は、琴音の社交界デビューのための準備期間でもあった。
「今夜は、神楽坂グループが出資するチャリティガラパーティです。上流階級が集まる場であり、貴女が『望月琴音』から『神楽坂琴音』として正式に紹介される場となります」

真柴は、琴音のために用意されたドレスルームで、緊張した面持ちの琴音に言った。
ドレスは、真柴が選んだ深紅のシルク。肌理の細かい生地が琴音の白い肌を際立たせ、大胆に開いた背中は夜の蓮が付けた痕を隠すように計算されていた。

(昼間の私は、完璧な妻。彼の望む通りの、商品としての最高傑作にならなきゃ)
鏡の中の自分は、もはや自分が知るバイト漬けの貧乏学生ではなかった。宝石とシルクに包まれ、冷たい美しさを纏った、神楽坂蓮の「所有物」だ。

蓮が部屋に入ってきたのは、出発の十分前だった。
タキシードを纏った彼は、まるで彫刻のように非の打ちどころがない。その瞳は、昼間の冷徹さを完全に宿している。

蓮は、言葉もなく琴音の前に立ち、ゆっくりと顎を指で持ち上げた。
「顔を上げろ、琴音」
その指示に従うと、蓮の視線が、琴音の瞳から首筋、そして背中へと滑った。

「悪くない。真柴の仕事は完璧だったようだ」
賞賛の言葉は、まるで高価な美術品に対する評価のようだ。蓮は琴音の腰に手を回し、一歩引き寄せた。

「今夜、お前は私の隣に立つトロフィーだ。何を尋ねられても、私の名誉を損なうような言動は許さない。会話は短く、優雅に。笑顔は、私を見るときだけ、少し深くしろ」
蓮の指先が、琴音の耳元に触れ、そのまま背中へ落ちる。
「…分かったな」
「はい、蓮様」

琴音が答えると、彼は満足げに頷き、その手を再び腰に戻した。
「行こう。私の完璧な妻よ」

会場は、きらびやかな社交界の華が集まる、まさに別世界だった。
蓮と琴音がエントランスに姿を現すと、一瞬、ざわめきが鎮まる。蓮は常に中心であり、その隣にいる女性が誰であるかは、最大の関心事だった。

蓮は社交界のトップとして、挨拶を交わす際、琴音を左腕にしっかりと固定し、決して手放さなかった。その仕草は丁寧ながらも、周囲に対して「彼女は私のものだ」と無言で宣言しているようだった。

琴音は真柴の特訓の成果を発揮し、完璧な笑顔と、簡潔で的確な受け答えで対応した。
しかし、やはり敵意を向けてくる者もいた。
一人の着飾った中年の女性が、蓮に挨拶を終えると、琴音に向き直った。彼女は財閥の夫人で、かつて蓮との縁談を望んでいたという噂がある人物だ。

「神楽坂夫人……お美しいわね。でも、あなたのようなまだ若い方が、神楽坂様の隣に立つのは、さぞかし大変でしょう?」
それは、表面的な称賛の裏に、琴音の出自や経験不足を嘲笑する意図を隠した質問だった。
琴音は動揺することなく、蓮から教わった通りの「模範解答」を優雅に返す。

「ありがとうございます、奥様。蓮様は完璧な方ですから、その隣に立てるよう、私も日々勉強しております。蓮様が私に与えてくださった役割を、大切に務めさせていただきます」

彼女は「妻」ではなく「役割」という言葉を使った。謙虚でありながら、蓮の権威を盾にする、非の打ちどころのない返答だ。
夫人は一瞬言葉に詰まったが、その時、蓮が初めて口を開いた。
「我が妻は、非常に聡明で、私の期待以上の働きをしてくれる」

蓮は、女性の言葉を遮るように言い放つと、さらに優雅な、しかし圧力のある笑みを浮かべた。
「彼女は、私が選んだ唯一の存在だ。それを忘れるな、立花夫人」
蓮は、琴音の腰を抱き寄せ、その頬に軽くキスを落とした。それは、公の場では異例の、親密すぎる行為だった。周囲の視線が一層熱くなる。

このキスは、賞賛でも愛情でもない。他者への、有無を言わせない独占宣言だった。

深夜、豪奢なリビングに戻った琴音は、一気に疲労が押し寄せ、ソファに深々と身を沈めた。
「お疲れ様でした、蓮様」
蓮はワイングラスを手に、琴音を見下ろした。その目には、会場での冷徹さはなく、夜の温度が混じり始めている。

「今日の採点結果だが」
彼はゆっくりと歩み寄り、ソファの背もたれに手をかけた。
「合格だ、琴音。期待以上のパフォーマンスだった」
「ありがとうございます」
「特に、立花夫人への返答。あの場で『役割』という言葉を使った判断は優秀だ。お前が、ただの愛人ではなく、私のビジネス上の不可欠な駒であることを、明確に示した」
彼の指先が、ドレスの肩紐に触れる。

「昼の役割は終えた。今からは、夜の役割だ」
蓮は、琴音の体を優しく引き上げ、自身の胸元に埋もれさせた。タキシード越しに伝わる体温は、先ほどの会場での冷たい体温とは違う、熱を帯びている。

「君の努力は、常に私によって報いられる」
彼はそう囁くと、琴音の深紅のドレスのファスナーに指をかけた。
「今夜は、君が誰の所有物であるかを、体で思い知らせてやる。社交界での緊張、他者の嫉妬、全てを私の腕の中で溶かしてしまえ」

昼間の緊張と夜の情欲。そのコントラストが、琴音をさらに深く、神楽坂蓮の鎖に絡め取っていく。彼女は、この支配から逃れられないことを悟り、蓮の熱を受け入れるように、そっと目を閉じた。