君は、狂愛の檻の中 ~偽りの君に恋をした~

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いつの間にか、空はゆっくりと色を変えていた。


茜色だった水平線は、少しずつ濃紺に侵食されていき。
遠くの海が、夜を連れてくる。



そろそろ帰るか──

そんな言葉を考えかけた、その時だった。


ふっ、と。
目の前に、冷たい影が落ちる。


「…………?」


空気が変わった。

さっきまで確かにあった穏やかな熱が、一瞬で冷え切っていく。


まるで本能で察知したみたいに、腕の中にいた由良の肩が小さく震えた。


「……っ」


その反応に、俺の神経が一気に張り詰める。

由良を庇うように、一歩前へ出た。


潮風が、やけに冷たい。



「………おい、」


低い声。

まだどこか幼さの残る、声変わり途中みたいな不安定な響き。


──なのに。その奥に潜む殺気だけが、異様なほど鋭かった。


子どもの声じゃない。
もっと、刃物みたいに冷たい何か。


俺はゆっくりと視線を上げる。

そこに立っていたのは、全身を黒で統一した男だった。


夜に溶け込むような漆黒の服。
耳には無数のピアス。

……年齢は、中学生くらいか。


だが、その瞳だけは妙に完成されていた。

感情を削ぎ落としたみたいに無機質で。
不気味なほど静かで。



………まるで、“人を壊すこと”に慣れている目だった。



「翔(カケル)………」

「…………」


由良が小さくその名前を呟く。

"カケル"と呼ばれた男は、何も言わないまま顎をしゃくった。


“来い”

ただそれだけを示す、無言の命令。


───あるいは。
部外者である俺への、露骨な拒絶。


「何の用────ああ、」


由良が何かに納得したように目を細める。


───次の瞬間。
俺の腕の中から、するりと抜け出した。

まるで最初から、そこに収まってなんかいなかったみたいに簡単に。


「……………」


胸の奥が、嫌な音を立てる。


さっきまで、あんなに泣いていたくせに。
あんなに俺へ縋っていたくせに。

今の由良は、もう俺を見ていなかった。


そこにあるのは、冷え切った事務的な横顔。

感情を全部閉じ込めたみたいな、“俺の知らない顔”。



由良は迷いなく"カケル"の方へ歩いていく。

警戒もない。
躊躇もない。


……その距離感が、逆に胸をざわつかせた。



……なんだよ、それ。

俺の知らない場所で。
俺の知らない時間の中で。

お前は、そいつとどんな関係を築いてきた?


向けられる信頼。
いや──もっと深い。

簡単には踏み込めない……“共犯者”みたいな空気。


───それを見た瞬間。

さっきとは違う意味で、心臓が激しく鳴った。



伸ばしかけた手が、空中で止まる。

行き場を失った指先だけが、夜風の中でやけに白く浮かんでいた。