午後の光がガラス窓を透かし、オフィスの床に淡い影を落としていた。
 会議を終えた皐月は資料を抱え、玲臣の執務室の前で立ち止まる。
 ノックしようとした手が震える。

「……失礼します」

 ドアを開けると、革張りのソファと整然としたデスク。その奥に座る玲臣が顔を上げた。
 黒いスーツに包まれた肩が頼もしく見える。けれど、その瞳はどこか険しい。

「来たか」

 短く告げる声に、皐月は胸が詰まった。
 机の上には、小さな黒い箱が置かれている。

 見慣れないその存在に、心臓が早鐘を打った。

「……これは?」
「渡したいものがある」

 玲臣は箱を手に取り、ゆっくりと開けた。
 中には、ひときわ輝くダイヤの指輪。
 光を受けて、眩しいほどに煌めいていた。

「祖母の形見だ。大事にしてきた……お前に渡すつもりで」

 言葉が静かに落ちる。
 皐月の目が揺れた。嬉しさよりも、胸を締めつける痛みの方が大きかった。

「……でも、私は……受け取れません」

「なぜだ」
「似合わないから」
「似合う似合わないの問題じゃない。これは——」
「私は……あなたに相応しくないんです」

 思わず口にした言葉。
 玲臣の表情が凍りついた。

「相応しくない?」
「……副社長の隣に立つのは、もっとふさわしい方がいるはずです」

 玲奈の笑顔が脳裏をかすめる。
 皐月は視線を落とし、唇を噛んだ。



 沈黙。
 玲臣は拳を握りしめ、低く息を吐いた。

「……お前、何を勝手に決めている」
「勝手じゃありません。私は——」
「だったら言え。誰が俺の隣にふさわしいと、お前は思っているんだ」

 鋭い眼差しが射抜く。
 皐月は何も言えず、ただ俯く。

「……そうか」

 短い吐息。
 玲臣は箱を強く閉じ、デスクの上に戻した。

「分かった。今は渡さない」
「……」
「だが、忘れるな。これはお前のために用意したものだ」

 声は冷たいのに、奥に熱が潜んでいた。
 皐月の心臓が苦しく震える。



 部屋を出るとき、背中に彼の声が落ちた。

「皐月。俺を信じられないなら……せめて、もう一度俺を見ろ」

 振り返れなかった。
 扉が閉じ、暗い廊下に皐月は立ち尽くした。

 手のひらには、指輪の眩さではなく、自分の涙の冷たさだけが残っていた。