深夜。
 都心のビル街はすでに眠りについている。
 窓の外にはまだ雨が残り、濡れた路面が街灯を映して淡く光っていた。

 玲臣は自室のデスクに腰掛け、スマートフォンを手にした。
 数分前から、送信画面を開いたまま。
 打ち込んでは消し、また指を走らせる。

 ——なぜ、避ける。
 ——お前は本当に、俺から離れたいのか。

 胸の奥に溜まる苛立ちと不安を、どう言葉にすればいいのか分からない。
 やがて、文字が画面に並んだ。

「皐月。お前が何を考えているのか分からない。
けれど、俺はお前を失いたくない。
明日、話をしよう。逃げずに、正直に答えてほしい」

 玲臣は深く息を吐き、送信ボタンを押した。



 その頃。
 皐月は自室のベッドに身を横たえ、スマートフォンを枕元に置いていた。
 画面が点滅するたびに胸がざわめく。
 けれど結局、開けずに裏返す。

 未読の通知だけが残る。
 眠れぬまま、薄暗い天井を見つめていた。



 翌朝。
 オフィスに出勤した皐月は、ふとスマートフォンを取り出した。
 昨日の通知が、消えている。
 何度画面をスワイプしても、玲臣からのメッセージは見つからない。

「……あれ?」

 胸の奥がひやりと冷える。
 彼が送ってくれた言葉を、どうしても読み返したかった。
 でも、それはどこにも残っていなかった。

 まるで最初から存在しなかったかのように。



 同じ時間。
 玲奈はコピー室でひとり、スマートフォンを操作していた。
 皐月の共有端末に届いた玲臣のメッセージを、ログインして削除する。

 指先が震えた。
 罪悪感と、奇妙な高揚感が入り混じる。

「……ごめんね、皐月。でも、彼は私のもの」

 誰にも聞こえない囁きが、機械音に紛れて消えていった。



 昼下がりの会議室。
 玲臣は皐月を見つめながら声を落とした。

「昨日のメッセージ……読んだか?」
「……メッセージ?」
「冗談だろ。長い文を送った」

 皐月は目を瞬かせ、首を振った。
「届いていませんでした」

「そんなはずない」
 玲臣の声が低く、鋭くなる。
「嘘をついてまで避けたいのか?」
「ち、違います……!」

 必死に否定しても、言葉はかき消される。
 玲臣の眉間に深い影が刻まれ、苛立ちの気配が漂った。

 皐月は俯き、胸の奥が痛みに焼かれるのを感じた。
 ——本当に届いていなかったのに。
 どうして信じてもらえないのだろう。



 会議の後、玲臣は一人で窓辺に立っていた。
 外には小雨が降り続き、ガラスを曇らせている。

 メッセージを消すはずがない。
 ならば——皐月は本当に、自分から距離を取ろうとしているのか。

 胸の奥に渦巻く疑念は、雨雲のように晴れなかった。