秋の夕暮れ。
 久世家の本邸は、静けさに包まれていた。
 重厚な柱時計が時を刻む音だけが、広間に響いている。

 玲臣は書斎に腰を下ろし、祖母の遺品を整理していた。
 漆塗りの小箱や古いアルバム、そして手書きの封筒。
 淡い紫の便箋に包まれたそれを手に取った瞬間、心臓が妙に高鳴った。

 封を開くと、整った筆跡が目に飛び込む。
 そこには祖母の、静かで温かな言葉が並んでいた。



『玲臣は雨の日になると、よく皐月ちゃんの話をする。
紫陽花を見ると、彼女と温室で交わした約束を思い出すらしい。
「大きくなったら迎えに行く」と言ったことを、子どもながらに本気で守るつもりでいるのだろう。
あの子の瞳は、皐月ちゃんのことを映すときだけ柔らかい。
どうかこの先も、その想いが途切れませんように——』



 便箋を持つ手が震えた。
 幼い日の記憶。温室で指を結んだあの日。
 祖母はすべてを見ていた。

 玲臣は目を閉じ、深く息を吐いた。

「……皐月。俺はずっとお前だけだった」

 それなのに、彼女は「俺には好きな人がいる」と信じ込んでいる。
 しかも、その“相手”を——親友の玲奈だと。

 苛立ちと悔しさで拳を握りしめながらも、この手紙を見つけたことが救いだった。
 ——これは、俺の気持ちの証だ。



 翌日。
 玲臣はオフィスに皐月を呼び出した。
 窓の外は薄曇り、ビル群の間を冷たい風が吹き抜けている。

「……これを見てくれ」

 机の上に便箋を置き、彼女に差し出す。
 皐月は戸惑いながら封筒を開いた。

 祖母の柔らかな筆跡を追ううちに、彼女の瞳が大きく揺れた。

「……玲臣さんが、小さい頃から……私のことを……」

 声が震え、便箋を持つ手が小刻みに揺れた。

 玲臣は静かに言った。
「これが、俺の“証拠”だ。俺の心は昔から皐月だけに向いていた」



 けれど、皐月の胸の奥ではまだ玲奈の言葉が残っていた。

「彼には好きな人がいる。あなたじゃない」

 ——この手紙は過去のこと。今の玲臣の心は違うのでは?
 そんな疑念が消えず、涙が滲んだまま俯いた。

「……ごめんなさい。信じたいのに、信じられないの」

 玲臣の胸に、鋭い痛みが走った。

 だが、彼は諦めなかった。
 この誤解を解くまで、どんな嘘も打ち砕いてみせる。