雨が降っていた。
 夜の街灯に濡れたアスファルトが光り、傘の下で雫の音だけが響く。
 私は翔と並んで歩いていたが、胸の奥は重く沈んでいた。

(この道の先に……私たちの未来はあるの?)



 その日、カフェで常連の女性客から何気なく囁かれた。

「聞いたわよ。西園寺家、また縁談を進めてるんですってね」

 その言葉に、手にしていたカップが揺れ、心臓が痛んだ。
 麻衣の顔が頭をよぎり、胸が締めつけられる。

 夜、翔に問いただした。

「……本当に、麻衣さんとの縁談があるの?」

 翔は短く沈黙した。
 その間だけで、心臓が冷えていく。

「——ある」

「……っ」

 全身が震えた。
 翔はすぐに続けた。

「だが、受ける気はない。断る」

「でも……家はあなたにそれを望んでいる。私じゃなくて、麻衣さんを……」

 声が掠れる。
 翔は腕を伸ばし、私を抱き寄せた。

「俺が望んでいるのは杏里だけだ。家が何を言おうと関係ない」

「本当に……?」

 震える声で問い返す。
 翔は私の瞳を真っ直ぐ見つめ、強く頷いた。

「俺は四年前、お前を失って何も残らなかった。……二度と同じ過ちはしない」

 言葉は熱い。
 でも、私の心はまだ揺れていた。



 その夜、ベッドの上で一人、天井を見つめながら考えた。

(翔さんを信じたい。だけど、また同じ孤独に戻るのが怖い……)

 過去の記憶がよみがえる。
 冷たい寝室、背を向けられた夜、返ってこない言葉。
 あの苦しみを二度と味わいたくない。

 けれど今の翔は違う。
 涙を流し、必死に「愛している」と言ってくれる。

(信じたい……でも……)

 答えは出なかった。



 翌日。
 カフェの閉店後、雨に濡れた路地で翔と向かい合った。
 街灯の下、雫が滴り落ちる音だけが響いている。

「杏里。……一緒に来てほしい」

「どこへ……?」

「俺の世界へ。西園寺家という枠を越えて、俺の隣に」

 胸が強く震えた。
 彼の言葉は真実で、嘘ではないとわかる。
 それでも——。

「翔さん……私は、まだ怖い。あなたを信じたいのに、信じきれない」

 涙が滲む。
 翔は私の頬に触れ、雨粒を拭うように撫でた。

「怖くてもいい。……それでも俺を選んでくれ」

 低い囁きが耳に落ちる。
 胸が苦しいほど熱くなる。

(私……どうすれば……)

 未来は揺れていた。
 愛を選ぶか、恐れに逃げるか。
 雨音の中、私は答えを出せずに立ち尽くしていた。