夜のアパート。
 静まり返った部屋の中で、私はソファに座り込んでいた。
 翔の告白が耳に焼きついて離れない。

——「俺は最初からお前を愛していた」
——「突き放したのは守るためだった」

 信じたい。
 でも、信じれば再び傷つく。
 揺れる心に耐え切れず、胸の奥がじんじんと痛んだ。



 コンコン、と扉を叩く音がした。
 嫌な予感がして立ち上がると、そこには翔が立っていた。
 夜の街灯に照らされた瞳は真剣そのもので、私を逃さない光を宿していた。

「……もう帰ったんじゃないの」

「杏里。俺はまだ話したい」

 押しのけるように部屋に入ってきた翔。
 狭い空間が一気に熱を帯びる。

「翔さん……どうしてそんなに……私に執着するの?」

「執着じゃない。……愛だ」

「違う! だって——」

 声が震え、涙が滲む。

「あなたに抱きしめてほしかった夜が、何度もあったの。
 名前を呼んでほしかった朝もあった。
 でも、あなたは一度も……振り向いてくれなかった!」

 堰を切ったように言葉が溢れた。
 翔の瞳が苦しげに揺れる。

「杏里……」

「私、ずっと寂しかったの。……冷たい屋敷で、一人で待って、何度も心が折れそうになった。
 それでも“妻”だから耐えなきゃって、必死に笑ったのに……」

 嗚咽で声が詰まる。
 涙が頬を伝い落ちる。



 翔はそっと近づき、私の肩を抱いた。
 強くも優しい腕に包まれ、心が乱れる。

「……ごめん。俺が愚かだった」

「謝らないで……! 謝られると、余計に……苦しくなる」

「苦しませたくなかった。けれど結局、誰よりもお前を苦しめた」

 翔の声も震えていた。
 顔を上げると、彼の瞳にも光るものがあった。

「翔さん……泣いてるの?」

 驚いて問うと、翔は苦笑を浮かべた。

「お前を失ったときより苦しいことはないと思っていた。……でも今、お前がこんなふうに泣いているのを見る方が何倍も辛い」

 その言葉に胸が熱くなり、さらに涙があふれた。



 二人して泣きながら、ただ抱き合った。
 彼の胸に顔を埋めると、温もりがじんじんと伝わる。
 四年前には得られなかったもの。
 今、ようやく触れられた温度。

「翔さん……もう一度信じてもいいの?」

 震える声で問う。
 翔は強く私を抱きしめ、低く囁いた。

「信じなくてもいい。ただ……そばにいてくれ。それだけでいい」

 その言葉に、胸が大きく震える。
 信じることは怖い。
 でも、この温もりを手放したくないと思ってしまった。



 涙で濡れた夜。
 互いに弱さを見せ合った私たちは、ようやく同じ場所に立てた気がした。
 けれどまだ道は始まったばかり。
 信じるか、逃げるか——心は揺れ続けていた。