◆お茶部の部室◆

「わあ、ようけ(たくさん)材料があるやの」

和菓子作りの準備が整った部室で、菜月は目を輝かせていた。テーブルには白餡、こし餡、食紅、片栗粉などがきれいに並んでいる。

「今日は『桜餅』と『若草』を作りますよ」お茶部の部長・田中麻美が説明した。

「若草って何ですか?」

「緑色の美しい和菓子です。春らしくて上品なんですよ」

部員は全部で8人。みんな菜月を温かく迎えてくれた。

「菜月ちゃんって、おばあちゃんからお菓子作り習ったんだっけ?」副部長の山下真由が聞いた。

「はい、小さい時からよう(よく)手伝ってたんにゃ(手伝っていました)」

「『よう手伝ってたんにゃ』って可愛い言い方ね」3年生の佐藤が笑った。

菜月は少し照れたが、ここでは方言を責められるような雰囲気がない。みんな好意的に受け取ってくれている。

◆和菓子作り開始◆

「まず白餡に食紅を混ぜて、薄いピンク色にします」

麻美部長が実演してくれる。菜月は一生懸命メモを取りながら見ていた。

「菜月ちゃんもやってみて」

「はい」

菜月は慎重に食紅を少しずつ加えていく。

「あ、ちょっと濃いやろうか…」

「『濃いでしょうか』ね」真由がにこにこしながら言った。

「ほやほや(そうそう)」

「でも大丈夫、その色も綺麗よ」

菜月はほっとした。失敗を責めるのではなく、温かくフォローしてくれる。

「次は餡を丸めて、桜の葉で包みます」

「おばあちゃんが作ってくれた桜餅思い出すんにゃわ」

菜月は懐かしそうに笑った。

「福井の桜餅は関東風?関西風?」佐藤先輩が興味深そうに聞いた。

「えーっと、どう違うがやろう?」

「関東風は薄い生地で、関西風は道明寺粉を使うのよ」

「うちのは道明寺粉やったと思います」

「じゃあ関西風ね。今日作るのは関東風だから、違いを楽しんで」



和菓子作りをしながら、みんな楽しくおしゃべりしている。

「菜月ちゃん、大学生活はどう?」麻美部長が聞いた。

「楽しいけど、時々方言のことで困るやて」

「どんなことで?」

「バイト先で『つるつるいっぱい』って言って、お客さんに『?』って顔されたり」

「『つるつるいっぱい』って何?」みんなが興味津々。

「満杯って意味です」

「面白い!」「可愛い表現」部員たちが盛り上がった。

「他にも、『おあげさん』って言って通じなかったり」

「『おあげさん』?」

「油揚げのことです。福井では『さん』をつけて呼ぶんや」

「丁寧で素敵じゃない」真由が感心した。

菜月は嬉しくなった。ここでは自分の方言を面白がって、温かく受け取ってくれる。



「失礼します」

ドアを開けて入ってきたのは、圭介先輩だった。

「あ、圭介先輩」菜月が驚いた。

「菜月さん、ここにいたんですね」

「はい、和菓子作りを体験させてもらって…」

お茶部のみんなが圭介を見ている。

「すみません、お邪魔してしまって」圭介が頭を下げた。

「いえいえ、どちらさまですか?」麻美部長が聞いた。

「言語研究会の田中圭介です。菜月さんにお話があって」

部室の空気が少し変わった。みんな、圭介と菜月の関係に興味を持ち始めている。

「あの、後でお話を…」菜月が言いかけると、圭介が首を振った。

「いえ、簡単なことなので。実は明日、方言についての研究発表会があるんです。もしよろしければ、聞きに来ていただけませんか?」

「研究発表会?」

「はい。各地の方言の魅力について発表するんです。菜月さんの福井弁も、きっと参考になると思います」

お茶部のメンバーがざわめいた。

「あの、圭介先輩」麻美部長が口を挟んだ。「菜月ちゃん、今うちの部活動中なんですが…」

「あ、すみません。失礼しました」

圭介は慌てて頭を下げた。

「菜月さん、時間のある時に考えてみてください」

そう言って、圭介は部室を出て行った。


圭介が去った後、部室がしばらく静かになった。

「あの…」菜月が口を開こうとすると、真由が笑顔で言った。

「彼氏?」

「違います!」菜月の顔が真っ赤になった。

「でも気になる人なんでしょ?」佐藤先輩がにやりと笑った。

「そ、そんなこと…」

「顔に書いてあるわよ」

みんなで笑いながら、雰囲気が和らいだ。

「でも」麻美部長が少し真面目な顔になった。「菜月ちゃんをサークルに勧誘しに来たの?」

「そうみたいです」

「うーん」部員たちが微妙な表情。

「菜月ちゃんはどうしたいの?」真由が聞いた。

「正直、迷っとります」

「どういうところで?」

菜月は昨日の出来事を話した。「研究材料」と言われた気分、でも圭介先輩への気持ち、そして今日のお茶部での居心地の良さ。

「なるほどね」麻美部長がうなずいた。「気持ちは分かるわ」

「でも」佐藤先輩が言った。「恋愛と部活は別よ。自分が本当にやりたいことを選ぶべきじゃない?」

「ほやけど(そうだけど)…」

「まあ、焦らなくてもいいんじゃない?」真由が優しく言った。「両方見学してから決めても」

◆和菓子完成◆

話をしながらも、和菓子作りは順調に進んだ。

「完成や!」

菜月が作った桜餅は少し不格好だったが、味は抜群だった。

「すごく美味しい!」みんなが絶賛した。

「おばあちゃんに教わった通りにしただけやて」

「謙遜しないで。センスあるわよ」

菜月は嬉しくて、思わず涙ぐんだ。

「どうしたの?」麻美部長が心配そうに聞いた。

「なんか、久しぶりに楽しかったんや。故郷におった時みたいに」

「『おった』って『いた』のこと?」

「はい」

「素敵な言葉ね」

みんなで作った和菓子を食べながら、お茶を飲む。穏やかで温かい時間が流れている。

◆お茶の時間◆

「菜月ちゃん、お茶の作法は?」麻美部長が聞いた。

「少しだけ。おばあちゃんに基本を教わりました」

「やってみて」

菜月は慣れた手つきでお茶を点てた。

「上手やの」

「あ、また方言が」菜月が苦笑いした。

「いいのよ、気にしないで」真由が笑った。「私たち、菜月ちゃんの話し方好きだから」

「ほんまですか?」

「本当よ。温かい気持ちになる」

菜月の心が温まった。ここなら、ありのままの自分でいられそう。

◆帰り道◆

お茶部の活動を終えて、菜月は一人で寮に向かっていた。

途中で圭介先輩に出会った。

「菜月さん、お疲れさまでした」

「圭介先輩、さっきはすみませんでした」

「いえ、僕の方こそ。急にお邪魔して」

二人は並んで歩いた。

「あの、明日の研究発表会の件ですが…」

「はい」

「無理にとは言いませんが、もしお時間があれば。きっと面白いと思うんです」

菜月は迷った。圭介先輩ともっと話したい気持ちもあるし、でも「研究材料」として見られるのは複雑。

「考えてみます」

「ありがとうございます」

圭介先輩が笑った。その笑顔を見ていると、菜月の胸がドキドキする。

「あの、菜月さん」

「はい?」

「お茶部、楽しそうでしたね」

「はい、みなさん優しくて」

「良かったです。菜月さんが楽しそうにしているのを見ると、僕も嬉しくなります」

菜月の頬が赤らんだ。

「ありがとうございます」



「ただいま」

「お帰り。どうだった?」未来が笑顔で迎えてくれた。

「すごく楽しかったで。みんな優しいし、和菓子作りも面白かったし」

菜月は今日の出来事を未来に話した。圭介先輩が来たこと、研究発表会に誘われたこと、お茶部のみんなが温かかったこと。

「良い人たちに出会えたのね」

「うん、でも迷っとるんや」

「サークルのこと?」

「それも、圭介先輩のことも」

未来は複雑な気持ちになった。菜月の恋の相談に乗るのは辛いけれど、でも菜月の幸せを願ってもいる。

「菜月ちゃんの気持ちはどうなの?」

「圭介先輩のこと、好きやと思う」

未来の胸がキュッと痛んだ。

「でも、同時に怖いんや」

「怖い?」

「私の方言を『研究』って言われると、まるで珍しい動物みたいに思われてる気がして」

「でも、圭介先輩はそんなつもりじゃないんじゃない?」

未来は自分の気持ちを押し殺して、菜月の恋を応援しようとした。

「そうかもしれんけど…」

その時、菜月の携帯が鳴った。

「悠真や」

電話に出ると、いつものように悠真の優しい声が聞こえてきた。

「おう、菜月。今日はどうやった?」

「和菓子作りしてきたんや」

「ほう、楽しそうやな」

菜月は悠真に今日の出来事を話した。悠真は最後まで優しく聞いてくれた。

「菜月らしく、焦らんでもいいぞ」

「ありがとう、悠真」

電話を切った後、未来が言った。

「悠真くん、いつも菜月ちゃんを支えてくれるのね」

「うん、小さい時からずっと」

未来は思った。悠真の存在も、菜月にとってはとても大きい。東京にいる自分は、菜月にとってどんな存在なのだろう。

「明日、研究発表会聞きに行く?」

「どうしようかの」

「行ってみたら?圭介先輩の本当の気持ちが分かるかもしれないし」

未来は自分の心に嘘をついて、菜月の背中を押した。

「ほやの(そうだね)。行ってみようかな」

「うん、頑張って」

その夜、未来は一人でベランダに出て夜景を眺めていた。

菜月への気持ち、圭介先輩への複雑な感情、そして菜月の幸せを願う気持ち。

全部が混ざり合って、胸が苦しかった。

「菜月ちゃんが幸せなら、それでいい」

小さくつぶやいて、未来は部屋に戻った。

明日は菜月にとって、きっと大切な日になるだろう。