大学生活も3週間が過ぎ、菜月はすっかりバイトにも慣れてきた。でも、まだサークルに入っていないことを気にしていた。



「サークル入らんとあかんの?」



朝食を食べながら菜月がつぶやくと、未来がコーヒーカップを置いた。



「別に入らなくても大丈夫だけど、友達作りには良い機会よ。それに菜月ちゃんなら、どこでも歓迎されそう」



「ほんまかの?」



「本当よ。今日はサークル勧誘の最終日でしょ?見に行ってみたら?」



◆大学中庭・サークル勧誘会場◆



昼休みの中庭は、色とりどりのテントやのぼりで賑わっていた。音楽系、運動系、文化系、様々なサークルが新入生を勧誘している。



「すごい人やの」



菜月は佳乃と一緒に会場を歩いていた。



「菜月ちゃんは何に興味ある?」



「うーん、よう分からんやて」



そこに軽音楽部の先輩が声をかけてきた。



「こんにちは!軽音楽部に興味ありませんか?」



「あ、音楽ですか。楽器はできませんけど…」



「大丈夫です!みんな初心者から始めるので。ちょっと見学してみませんか?」



◆軽音楽部の部室◆



部室ではバンドが練習していた。ドラム、ベース、ギターの音が響く。



「すごいやの!」菜月が目を輝かせた。



「どうですか?やってみたいと思いませんか?」部長らしき3年生の女子が話しかけてきた。



「やってみたいけど、私なんかができるやろうか…」



「『やろうか』って、関西弁ですか?」



「あ、福井弁です」



「福井!初めて会いました。可愛い話し方ですね」



部員たちも「確かに可愛い」「癒される」と好意的な反応。



「よかったら歌ってみませんか?」



「歌?」



「ええ、何か知ってる曲を」



菜月は困った。人前で歌うなんて恥ずかしい。



「あの、恥ずかしいで…」



「大丈夫です!みんな優しいですから」



結局、菜月は故郷でよく歌っていた民謡を歌うことになった。





福井の民謡「三国節」を歌い始めた菜月。最初は恥ずかしそうだったが、だんだん調子に乗ってきた。





部員たちがぽかんとして聞いている。



歌い終わった後、しばらく沈黙が続いた。



「あの…これ、何の歌ですか?」部長が恐る恐る聞いた。



「福井の民謡です。三国節って言うんや」



「民謡…」部員たちがざわめいた。



「えーっと、うちはポップスやロックが中心なので…」



「そうですよね、すみません」菜月は顔を赤くした。「場違いやったかの」



◆次は演劇部◆



気を取り直して、次は演劇部のテントを訪れた。



「いらっしゃい!演劇部です」明るい先輩が迎えてくれた。



「あの、ちょっと見学を…」



「ぜひぜひ!君、良い声してるね。発声練習やってみない?」



「発声練習?」



「『あえいうえおあお』を大きな声で言ってみて」



菜月は言われた通りにやってみた。



「あえいうえおあお!」



「すごい!よく通る声だね。じゃあ今度はセリフを読んでみて」



台本を渡された菜月。恋人同士の別れのシーンだった。



「『もう、会えないのね…』」標準語で読もうとしたが、感情が込もると方言が出てしまう。



「『私のこと、忘れてしまうがやろうか?』」



「あ、また方言が…」



「『がやろうか』って何ですか?」先輩たちが首をかしげる。



「『でしょうか』という意味です」



「でも標準語の台本だから…」



菜月はまたしても居心地悪く感じてしまった。



◆お茶部で一息◆



「はぁ、えらい(疲れた)…」



佳乃と一緒にお茶部のテントで休憩していた。



「まあまあ、お疲れさま」部員の先輩がお茶とお菓子を出してくれた。



「このお菓子、何ですか?」菜月が聞いた。



「和三盆のお干菓子です」



「和三盆!」菜月の目が輝いた。「故郷にもあるんやって。でも、福井のとは少し違うの」



「福井にもあるんですか?」



「はい、『おろしそば』と一緒に出される小さなお菓子があるんにゃ(です)」



菜月は楽しそうに福井のお菓子について話し始めた。お茶部の皆さんも興味深そうに聞いてくれる。



「君、和菓子詳しいのね」部長が感心した。



「おばあちゃんがお菓子作りが好きで、小さい頃からよう教わっとったやて」



「それなら茶道の心得もあるのでは?」



「少しだけ。正座は得意やて」



「ぜひうちに入りませんか?和菓子にも茶道にも興味がありそうだし」



菜月は嬉しくなった。やっと自分に合いそうなサークルに出会えた気がした。



◆その時、後ろから声が◆



「菜月さん!」



振り返ると、圭介先輩が立っていた。



「圭介先輩!」



「サークル見学ですか?僕も新入部員を探してるんです」



「どちらのサークルですか?」



「言語研究会です。方言や古語、現代語の変遷なんかを研究してるんですよ」



菜月の目がぱっと輝いた。



「方言の研究?」



「ええ。実は菜月さんの福井弁、とても興味深いんです。研究材料として…いえ、失礼な言い方でしたね」



「いえいえ、全然失礼やないやて!」



圭介先輩が笑った。



「その『やないやて』、まさに研究したい言葉遣いです。よかったら見学に来ませんか?」



お茶部の部長が少し困った顔をした。せっかく入部してくれそうだったのに。



「あの…」菜月が迷っていると、佳乃が口を挟んだ。



「両方見学してから決めればいいじゃない」



◆言語研究会の部室◆



部室には辞書や言語学の本がずらりと並んでいる。



「すごいやの、本がようけある」



「『ようけ』、いいですね」圭介先輩がメモを取り始めた。「福井では『たくさん』を『ようけ』と言うんですね」



「はい、おばあちゃんもよう使っとります」



「『よう使っとります』…これも面白い」



部室には他にも数人の部員がいた。みんな菜月の方言に興味津々の様子。



「君、すごくいい資料になりそうだね」



「あの、資料って…」菜月が少し不安になった。



「あ、ごめんなさい」圭介先輩が慌てて言った。「変な言い方でしたね。一緒に方言について研究しませんか、という意味です」



「研究…難しそうやて」



「大丈夫です。君の自然な話し方こそが、一番の研究材料なんです」



そこに鈴木教授が入ってきた。



「おや、村瀬さん。ここにいたんですか」



「鈴木先生!」



「彼女に入部してもらおうと思ってるんです」圭介が説明した。



「それは素晴らしい。村瀬さんの福井弁は、とても貴重なサンプルですから」



また「サンプル」という言葉。菜月は少しもやもやした気持ちになった。



◆その夜、寮にて◆



「今日はどうだった?」未来が菜月の帰りを待っていた。



「いくつかサークル見学したけど、迷っとるやて」



「どこを見てきたの?」



菜月は今日の出来事を話した。軽音楽部での民謡事件、演劇部での方言問題、お茶部の温かい雰囲気、そして圭介先輩の言語研究会のこと。



「圭介先輩のサークル、良さそうじゃない」



「そうやけど、なんか『研究材料』って言われるのが…」



「どういうこと?」



「私の方言を研究するって。私は人間やのに、なんか標本みたいに扱われてる気がして」



未来は菜月の気持ちを理解した。



「確かに、それは嫌な気分になるかも」



「でも、圭介先輩は悪気があって言ってるわけやないと思うし…」



未来は複雑だった。圭介への菜月の想いも分かるし、でも菜月が傷ついているのを見るのも辛い。



「お茶部はどうだった?」



「すごく居心地良かったやて。みんな優しいし、和菓子の話で盛り上がったし」



「それなら、お茶部に入れば?」



「でも…」菜月は迷っていた。



その時、携帯が鳴った。悠真からだった。



「はい、悠真?」



「おー、菜月。サークル決めるんやってな」



「うん、でも迷っとるやて」



「無理せんでもいいぞ。菜月が楽しいと思えるところが一番や」



悠真の優しい声に、菜月の心が落ち着いた。



電話を切った後、未来が言った。



「悠真くんの言う通りよ。菜月ちゃんが一番居心地良く感じるところが正解だと思う」



「ありがとう、未来ちゃん」



菜月は笑顔を見せたが、まだ迷いは残っていた。



◆翌日の昼休み◆



菜月は一人で中庭のベンチに座って考えていた。



そこに圭介先輩がやってきた。



「菜月さん、昨日はありがとうございました」



「あ、圭介先輩」



「あの、昨日の僕の言い方、気に障りましたか?」



菜月は驚いた。圭介先輩が自分の気持ちに気づいていたなんて。



「いえ、そんなことは…」



「実は部員に注意されたんです。君を『研究材料』扱いしてるって」



圭介先輩は隣に座った。



「僕は純粋に、菜月さんの方言の美しさに魅力を感じているんです。でも、それが君を不快にさせてしまったなら、謝罪します」



「圭介先輩…」



「どうか、僕たちと一緒に方言の素晴らしさを広める活動をしませんか?研究材料としてではなく、一緒に学び合う仲間として」



菜月の心が動いた。圭介先輩の真剣な表情、そして謝罪の気持ち。



「考えさせてください」



「もちろんです。でも、無理はしないでくださいね」



圭介先輩が去った後、菜月はまだ迷っていた。



心では圭介先輩に惹かれているけれど、本当に自分に合っているのかどうか…。



そんな菜月の前に、お茶部の部長が現れた。



「あら、菜月さん。考え事ですか?」



「あ、部長さん」



「よろしければ、もう一度部室に来ませんか?今日は和菓子作りをするんです」



菜月の目が輝いた。



「和菓子作り?」



「ええ。きっと楽しいですよ」



菜月は立ち上がった。まずは自分が本当に楽しいと思えることから始めよう。



圭介先輩への気持ちは置いておいて、今は自分らしくいられる場所を見つけることが大切だ。



「ぜひ、参加させてください」



「嬉しいです。一緒に行きましょう」



菜月の大学生活に、また新しいページが始まろうとしていた。