大学生活が始まって一週間。菜月の財布の中身はみるみる減っていく一方だった。

「やばいんやって…お金が底ついてきた」

朝食のパンをかじりながら、菜月は通帳を見つめていた。

「『やばいね』でしょ?」未来がいつものようにツッコみを入れる。「バイト、探さないと」

「ほやの(そうだね)。でも東京のバイトって難しそうやって」

「大丈夫よ。みんな最初は初心者なんだから」

未来は菜月を励ましながらも、内心では少し複雑だった。バイトを始めたら、菜月と過ごす時間が減ってしまう。

「佳乃ちゃんに聞いてみよう」

菜月は携帯で山田佳乃にメッセージを送った。すぐに返事が来る。

『駅前のファミレス『サニーテーブル』で募集してるよ!店長さん優しいから大丈夫♪』

◆サニーテーブル前◆

「うわあ、きれいなお店やの」

駅前の大通りに面した明るいファミリーレストラン。ガラス張りの店内では、たくさんのお客さんが食事を楽しんでいる。

「ひって(すごく)緊張するって…」

「大丈夫、頑張って」未来が背中を押してくれた。「私、近くのカフェで待ってるから」

「ありがとう、未来ちゃん」

菜月は深呼吸をして、店内に入った。

「すみません、アルバイトの面接で来ました、村瀬と申します」

受付の女性スタッフが笑顔で迎えてくれた。

「お疲れさまです。店長をお呼びしますね」

しばらくして現れたのは、30代半ばくらいの穏やかそうな男性だった。

「村瀬さんですね。店長の田村です。こちらへどうぞ」

奥の個室に案内され、いよいよ面接開始。

「まず、志望動機を教えてください」

菜月は事前に準備した答えを言おうとした。

「はい、あの、人と接する仕事が好きで…」

ここまでは良かった。しかし、緊張のあまり続きが出てこない。

「あの…えーっと…お客さんに喜んでもらえるような、ええサービスを…」

「『ええサービス』?」田村店長が首をかしげた。

「あ!『良いサービス』です!」菜月の顔が赤くなった。

「関西の方ですか?」

「いえ、福井です」

「福井!いいところですね。恐竜博物館、行ったことありますよ」

「ほんまですか!」菜月の表情がぱっと明るくなった。「あそこ、ひってええとこやって」

「『ひってええとこ』…」田村店長が笑った。「福井弁って温かい響きですね」

菜月はハッとした。また方言が出てしまった。

「すみません、緊張すると方言が…」

「いえいえ、構いませんよ。むしろ親しみやすくて良いと思います」

田村店長の優しい言葉に、菜月は少しほっとした。

「それで、接客経験はありますか?」

「はい、故郷で祖父母のお店を手伝っとりました」

「どんなお店ですか?」

「小さな食堂やったんですけど、地元のお客さんがようけ来てくれて」

「『ようけ来てくれて』?」

「あ、『たくさん来てくれて』です」

菜月は慌てて言い直したが、田村店長は興味深そうに聞いていた。

「なるほど。では、実際にお客様への挨拶をやってみてもらえますか?」

「はい」

菜月は立ち上がり、深々とお辞儀をした。

「いらっしゃいませ!サニーテーブルへようこそお越しくださいました」

「とても丁寧ですね。では、お客様がお帰りになる時は?」

「ありがとうございました!またお越しくださいませ。お気をつけて帰んねの」

「『帰んねの』?」

またしても福井弁が出てしまった。菜月は真っ赤になった。

「あの、すみません!『お帰りください』です」

「いえ、『帰んねの』も丁寧で良いと思いますよ」

田村店長は笑いながら言った。

「最後に質問ですが、どんなウエイトレスになりたいですか?」

菜月は一瞬考えてから、今度は丁寧に標準語で答えようとした。

「お客様に心から喜んでもらえるような…あの…」

でも、気持ちが込もるとやはり方言が出てくる。

「故郷のお店みたいに、お客さんが『また来たい』って思ってもらえるような、温かいサービスをしたいんや」

田村店長がにこりと笑った。

「分かりました。では、明日から来ていただけますか?」

「え?」

「採用です」

「ほんまですか?!」

菜月は思わず立ち上がって、ぺこぺこと頭を下げた。

「ありがとうございます!がんばりますけ!」

◆面接後、カフェにて◆

「採用されたやて!」

菜月は未来に結果を報告した。未来は複雑な表情を浮かべながらも、笑顔で祝福した。

「良かったじゃない。おめでとう」

「でも面接中、方言ばっかり出てしもうて…恥ずかしかったやて」

「でも採用されたんでしょ?きっと店長さんが菜月ちゃんの人柄を気に入ったのよ」

「そうかの…」

その時、佳乃がやってきた。

「菜月ちゃん、どうだった?」

「採用されたやて!」

「やったー!私たち同じ職場ね」

佳乃は北海道出身だが、標準語がとても上手だった。菜月は少しうらやましく思った。

「佳乃ちゃんは標準語うまいの。私も見習わんなん」

「『見習わなくちゃ』ね」未来が言った。

「ほやほや」

佳乃が二人のやりとりを見て、くすくすと笑った。

「菜月ちゃんと未来ちゃん、まるで漫才コンビみたい」

未来の頬が少し赤らんだ。

◆初出勤前日の夜◆

「明日から新しい生活やの」

菜月はベッドの上で制服を眺めていた。

「緊張する?」未来が隣に座った。

「うん、ひってもんに(すごく)。でも楽しみでもあるんやって」

「お客さんに方言でツッコまれたらどうする?」

「その時はその時やって」菜月が笑った。「ありのままの自分で頑張ってみる」

未来は菜月の前向きさに感心した。同時に、少し寂しくも思った。

「バイト始まったら、一緒にいる時間減っちゃうね」

「ほやけど(そうだけど)、休みの日は一緒におろうの」

「『おろうの』?」

「『いよう』やった」

「『いよう』も方言?」

「『いましょう』やって」

二人は笑った。

その時、菜月の携帯が鳴った。悠真からだった。

「はい、悠真?」

「おー、菜月。バイト決まったんやってな」

「うん、明日から頑張るで」

「無理せんでもいいぞ。東京は冷たい奴もおるやろうけど、菜月なら大丈夫や」

電話の向こうの優しい声に、菜月の心が温かくなった。

「ありがとう。がんばってみるわ」

電話を切った後、未来が聞いた。

「悠真くん、優しいのね」

「うん、小さい時からずっと面倒見てくれるんやて」

未来は少し複雑な気持ちになった。菜月には故郷に大切な人がいて、大学には圭介先輩がいて…自分の居場所はどこなのだろう。

「未来ちゃんも私にとって大切やって」

菜月が突然言った。

「え?」

「いつも支えてくれて、ありがとう。あんたがえんかったら(いなかったら)、東京でやっていけんかったわ」

未来の胸がドキドキした。

「私も…菜月ちゃんがいてくれて、毎日楽しいよ」

「ほんまに?」

「本当」

二人は見つめ合った。なんだか特別な雰囲気が流れる。

「明日、がんばってね」

「うん、がんばるんやて」

窓の外では東京の夜景がきらめいている。明日からまた新しいチャレンジが始まる。

菜月の東京生活は、ますます賑やかになりそうだった。