圭介先輩とのデートまであと三日。菜月は少し浮かれていた。

「未来ちゃん、日曜日の服装どうしよう」

朝から鏡の前で着替えを繰り返している菜月を、未来は複雑な表情で見ていた。

「どれも似合ってるよ」

「ほんまに?でも、もっとちゃんとした服がええかの?」

「菜月ちゃんらしい服装が一番よ」

未来の声は少し寂しげだった。でも、菜月は気づいていない。

「そうやの。ありがとう、未来ちゃん」

菜月が笑顔で振り返ると、未来は慌てて笑顔を作った。

「頑張ってね」

その言葉には、どこか諦めのような響きがあった。

◆大学での昼休み◆

「菜月ちゃん!」

さくらが駆け寄ってきた。

「さくらちゃん、おはよう」

「あの、今日の放課後、時間ある?」

「うん、バイトは夕方からやから大丈夫やて」

「良かった。一緒にお茶しない?」

「もちろん」

さくらの表情が少し暗いのを、菜月は気にかけていた。最近、どこか元気がない。

◆授業後、学食のカフェスペースで◆

「さくらちゃん、最近元気ないけど、何かあった?」

さくらはカップを両手で包みながら、少し俯いた。

「菜月ちゃん、日曜日、圭介先輩とデートなんでしょ?」

「うん…」

「嬉しい?」

「そりゃあ、嬉しいけど…でも、さくらちゃんが心配やて」

さくらが顔を上げた。目が少し潤んでいる。

「私ね、菜月ちゃんが圭介先輩と一緒にいるの見ると、胸が苦しくなるの」

「さくらちゃん…」

「なんでだろうって考えてたんだけど、分かっちゃった」

菜月の心臓がドキドキした。

「私、菜月ちゃんのことが…」

その時、佳乃が通りかかった。

「あ、菜月ちゃん!ちょっといい?シフトのことで」

「あ、うん」

菜月は佳乃と少し話をした。振り返った時、さくらは立ち上がっていた。

「ごめん、私、部活の準備があるから先に行くね」

「あ、待って、さくらちゃん!」

でも、さくらは足早に去って行ってしまった。

◆寮に帰って◆

「ただいま」

部屋に帰ると、未来が郵便物を整理していた。

「お帰り。菜月ちゃんに手紙が届いてるわよ」

「手紙?」

未来が差し出したのは、薄いブルーの封筒。差出人は「高橋悠真」。

「悠真から!」

菜月の顔がぱっと明るくなった。未来はその表情を見て、胸が少し痛んだ。

「悠真くんから手紙なんて珍しいわね」

「ほんまやの。いつも電話やのに」

菜月は慌てて封筒を開けた。


『菜月へ

元気にしとっけ?こっちは相変わらずや。大学も家の手伝いも、まあまあ順調にいっとる。

最近、菜月の電話での声がなんか違うような気がして、心配になって手紙を書いてみた。東京での生活、楽しそうやけど、無理しとらんか?

この前の電話で、圭介っていう先輩の話をようしとったな。菜月が好きな人ができたんやなって、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちや。

でも、一つだけ言わせてくれ。

菜月は菜月のままでええ。方言を直す必要も、無理して東京に馴染む必要もない。菜月らしさを失わんでほしい。

それが菜月の一番の魅力やから。

俺は福井におるけど、いつでも菜月の味方や。何かあったら、すぐ東京に行くからな。

これからも、自分らしく頑張れよ。

P.S. おばあちゃんが、菜月に羽二重餅を送るって言っとった。もうすぐ届くと思う。

悠真』

手紙を読み終えた菜月の目に、涙が浮かんでいた。

「どうしたの?」未来が心配そうに聞いた。

「悠真が…優しすぎるやて」

「そう…」

未来は悠真の手紙を横目で見た。綺麗な字で、菜月への想いが丁寧に綴られている。

「悠真くん、菜月ちゃんのこと本当に大切に思ってるのね」

「うん、幼なじみやから」

「それだけかしら?」

「え?」

未来は言いかけて、やめた。悠真も菜月のことが好きなのかもしれない。そんな気がした。

「なんでもない」

◆その夜、菜月の悩み◆

ベッドに横になりながら、菜月は考えていた。

圭介先輩とのデート。さくらの様子。そして悠真からの手紙。

「未来ちゃん、起きてる?」

「起きてるよ」

「あのね、ちょっと相談があるがやけど」

「どうしたの?」

「さくらちゃんが、最近変やて」

「どんな風に?」

「私が圭介先輩と一緒におると、すごく悲しそうな顔するがよ」

未来は心臓がドキドキした。さくらの気持ちに、自分も共感してしまう。

「もしかして、さくらちゃんも圭介先輩のこと好きなんかの?」

「それは…どうかしら」

未来は本当のことを言いたかった。さくらが好きなのは圭介先輩じゃなくて、菜月自身だと。でも、言えなかった。

「でも、友達として心配やて」

「そうね」

「未来ちゃんは、私のこと、どう思う?」

突然の質問に、未来は動揺した。

「え?」

「私、東京に来てから、変わったかの?」

「変わってないわよ。相変わらず菜月ちゃんらしくて、可愛くて…」

未来は言葉に詰まった。

「可愛くて?」

「あ、その、友達として可愛いなって」

未来は慌てて言い直した。

「ありがとう、未来ちゃん」

菜月は無邪気に笑った。未来は自分の気持ちを隠しながら、複雑な表情を浮かべた。

◆翌日、お茶部で◆

「菜月ちゃん、おはよう」

さくらが笑顔で迎えてくれた。でも、その笑顔はどこか無理をしているように見えた。

「さくらちゃん、昨日はごめんね。話の途中やったのに」

「ううん、大丈夫」

「あのね、さくらちゃんが言いかけたこと、聞かせてくれん?」

さくらは少し戸惑った表情を見せた。

「あれは…」

「私、さくらちゃんのこと大切やから。何か悩んでるなら、力になりたいがよ」

さくらの目に涙が浮かんだ。

「菜月ちゃん、優しすぎるよ」

「え?」

「だから、私…」

その時、麻美部長が入ってきた。

「みんな、おはよう。今日はお点前の練習よ」

タイミングが悪い。さくらは話すのをやめてしまった。

◆茶道の練習中◆

「菜月ちゃん、おちょきん上手になったわね」真由が言った。

「この前、しびれてんたけどね」菜月が笑った。

部員たちも笑ったが、さくらだけは笑っていなかった。

「さくらちゃん、大丈夫?」

「うん、ちょっと考え事してただけ」

菜月はさくらの様子が本当に心配になってきた。

◆練習後、二人きりで◆

「さくらちゃん、今度の日曜日、圭介先輩とデートやけど…」

「知ってる」さくらの声が少し震えた。

「もし、さくらちゃんが嫌なら、断ろうかと思って」

「え?」さくらが驚いた顔をした。

「さくらちゃんの方が大切やから」

さくらは涙が溢れそうになった。

「そんなこと言わないで」

「でも…」

「菜月ちゃんが幸せならいいの」

「ほんまに?」

「本当」

でも、さくらの目は嘘をついていた。

「私、菜月ちゃんの幸せを願ってるから」

それは本当だった。でも同時に、自分の気持ちを押し殺している言葉でもあった。

◆帰り道、未来と◆

「今日はどうだった?」

一緒に帰る道で、未来が聞いた。

「さくらちゃんが、やっぱり変やて」

「そう…」

「未来ちゃんは、どう思う?」

未来は少し考えてから答えた。

「多分、さくらちゃんは菜月ちゃんのことが…」

「私のこと?」

「大切に思いすぎて、圭介先輩に取られるのが怖いんじゃない?」

それは半分本当で、半分嘘だった。

「そうかの」

「親友として、菜月ちゃんを守りたいんだと思う」

未来は自分の気持ちを、さくらの気持ちに重ねて説明した。

「私も、菜月ちゃんが傷ついたら嫌だもの」

「ありがとう、未来ちゃん」

菜月は未来の手を握った。未来の心臓がドキドキした。

「二人とも、私のこと心配してくれて」

「当たり前よ。大切な…友達だもの」

未来は「友達」という言葉を言う時、少し躊躇した。



寮の部屋で、菜月は悠真の手紙を読み返していた。

「悠真も、さくらちゃんも、未来ちゃんも、みんな優しいやて」

菜月は幸せを感じながらも、どこか胸が苦しかった。

一方、さくらは自分の部屋で枕に顔を埋めていた。

「菜月ちゃん…好き」

小さくつぶやいて、涙が溢れた。圭介先輩とのデートを祝福しなければいけないのに、心がついていかない。

そして未来も、ベランダで夜空を見上げていた。

「菜月ちゃんが幸せならいい」

そう自分に言い聞かせながらも、涙が止まらなかった。

福井では悠真が、東京ではさくらと未来が、それぞれの場所で菜月を想っている。

そして菜月も知らない。自分がこんなにも愛されていることを。

日曜日のデートは、きっと何かが変わるきっかけになる。

それが良い方向なのか、悪い方向なのか、まだ誰にも分からなかった。