朝食のテーブルに並ぶ皿は、いつもと変わらず彩り豊かだった。
焼き立てのクロワッサン、オムレツ、香り高いコーヒー。
だが、紗良の手はフォークを取ろうとせず、ただ視線を落としていた。

「紗良、口に合わないのか?」
正面に座る怜司が心配そうに問いかける。
「……いいえ。ただ、食欲がないだけ」

かつてなら、彼の声ひとつで胸が温かくなった。
けれど今は、その響きが遠く聞こえる。

怜司はしばらく黙って紗良を見つめ、それから溜め息をついた。
「このところ様子が変だ。何かあったのか?」
「……別に」
「嘘だな。僕に隠し事をする君じゃない」

――隠し事をしているのはどちら?
心の中で呟き、紗良は視線を逸らした。



日が沈んだころ、リビングで怜司が帰宅した。
「ただいま」
「……おかえりなさい」

声は冷たく、表情は硬い。
怜司は眉をひそめ、上着を脱ぎながら近づいた。

「やはり何かあったんだな。僕に話してくれ」
「話すことなんてないわ」

背を向ける紗良の腕を、怜司が掴んだ。
「紗良」
「放して」

怜司の瞳に驚きと戸惑いが宿る。
それでも彼は優しい声音で続けた。
「君が何を思っていようと、僕は――」
「信じられないの」

はっきりと告げた言葉が、二人の間に鋭い空気を走らせた。
怜司の手がわずかに緩む。

「……どういう意味だ」
「そのままの意味よ。あなたの言葉も、態度も……すべてが」



怜司は苦しげに眉を寄せた。
「君は誤解している。僕は――」
「誤解? それなら、どうして毎晩のように帰ってこないの?」
「仕事が山積みだからだ。何度も説明している」
「本当に?」

問い詰める声は震えていた。
目にした光景、玲奈の言葉が胸に蘇り、疑念は確信へと変わりつつある。

怜司はしばらく沈黙し、やがて低く呟いた。
「……僕を信じられないなら、それ以上何を言っても無駄なのかもしれない」



その夜、ベッドは冷たかった。
怜司は隣にいても、二人の間には見えない壁が築かれていた。
かつては触れ合うだけで温かかった心が、今は氷に閉ざされていく。

――信じたいのに、信じられない。
その矛盾が紗良の心を蝕み、彼女の瞳から光を奪っていった。