冷たい風が頬を撫でる午後。
紗良は久しぶりに街へ出て、ひとり喫茶店の扉を押した。
ここは、かつて怜司と通ったことのある落ち着いた店。
ほんの少しでも、彼との記憶に触れて心を慰めたかったのだ。
カラン、とベルが鳴り、紗良は窓際の席に腰を下ろした。
暖かなカプチーノの香りが漂う。
外を眺めながら、無理にでも心を落ち着けようとしたその時――。
ふと、視線の端に見慣れた背中が映った。
漆黒のスーツに、堂々とした姿。
「……怜司さん?」
信じられない思いで目を凝らす。
彼は確かにそこにいた。
しかも、その隣には、噂の令嬢――神宮寺玲奈の姿が。
二人は向かい合って座り、談笑している。
怜司の横顔は、紗良が知る冷徹な社長の顔ではなかった。
柔らかく微笑み、玲奈の言葉に軽く頷く――。
その表情は、紗良にさえ滅多に見せてくれないものだった。
胸が鋭く痛む。
心臓を掴まれたように呼吸が浅くなる。
「嘘……」
声にならない声が唇から零れる。
カップに伸ばした指が震え、白い陶器が小さく音を立てた。
「……どうかしましたか、お客様?」
店員が心配そうに声をかける。
紗良は慌てて微笑を作り、「大丈夫」と答えた。
だが視線は窓際の二人から離れない。
玲奈がグラスに口をつけ、怜司がナプキンを差し出す。
彼女は少し頬を染め、怜司は優しく微笑んだ。
――それはまるで、恋人同士の仕草。
(……やっぱり、噂は本当だったの?)
耳にした言葉が次々に甦る。
「親しげ」「恋人みたい」――すべて現実だったのだと、視界が滲んでいく。
会計を済ませ、二人が席を立った。
怜司が自然に玲奈の背に手を添える。
その光景を目にした瞬間、紗良の胸の奥で何かが崩れ落ちた。
「もう……信じられない」
震える声を押し殺しながら、紗良は席を立った。
外に出ると冷たい風が吹きつけ、涙を乾かす。
だが、凍りついた心までは溶かしてくれなかった。
夜。
邸宅に戻った怜司が「ただいま」と告げる声を聞いた瞬間、紗良の身体は反応した。
愛しいはずの声なのに、今は刃のように突き刺さる。
「……遅かったわね」
「すまない。会合が長引いて」
怜司はそう言って上着を脱ぎ、笑みを浮かべた。
その笑顔が、昼間に見たものと重なり、紗良の胸を締めつける。
「会合……?」
「そうだ。取引のために必要な話し合いだった」
嘘だ、と心の中で叫ぶ。
けれど、口にはできない。
代わりに、冷たい沈黙が二人の間に広がっていった。
信じていた初恋の人。
信じたかった夫。
だが――今日、目にしたあの光景は、すべてを裏切った。
紗良の心は、深い闇の中に沈み込み、ひび割れていくのだった。
紗良は久しぶりに街へ出て、ひとり喫茶店の扉を押した。
ここは、かつて怜司と通ったことのある落ち着いた店。
ほんの少しでも、彼との記憶に触れて心を慰めたかったのだ。
カラン、とベルが鳴り、紗良は窓際の席に腰を下ろした。
暖かなカプチーノの香りが漂う。
外を眺めながら、無理にでも心を落ち着けようとしたその時――。
ふと、視線の端に見慣れた背中が映った。
漆黒のスーツに、堂々とした姿。
「……怜司さん?」
信じられない思いで目を凝らす。
彼は確かにそこにいた。
しかも、その隣には、噂の令嬢――神宮寺玲奈の姿が。
二人は向かい合って座り、談笑している。
怜司の横顔は、紗良が知る冷徹な社長の顔ではなかった。
柔らかく微笑み、玲奈の言葉に軽く頷く――。
その表情は、紗良にさえ滅多に見せてくれないものだった。
胸が鋭く痛む。
心臓を掴まれたように呼吸が浅くなる。
「嘘……」
声にならない声が唇から零れる。
カップに伸ばした指が震え、白い陶器が小さく音を立てた。
「……どうかしましたか、お客様?」
店員が心配そうに声をかける。
紗良は慌てて微笑を作り、「大丈夫」と答えた。
だが視線は窓際の二人から離れない。
玲奈がグラスに口をつけ、怜司がナプキンを差し出す。
彼女は少し頬を染め、怜司は優しく微笑んだ。
――それはまるで、恋人同士の仕草。
(……やっぱり、噂は本当だったの?)
耳にした言葉が次々に甦る。
「親しげ」「恋人みたい」――すべて現実だったのだと、視界が滲んでいく。
会計を済ませ、二人が席を立った。
怜司が自然に玲奈の背に手を添える。
その光景を目にした瞬間、紗良の胸の奥で何かが崩れ落ちた。
「もう……信じられない」
震える声を押し殺しながら、紗良は席を立った。
外に出ると冷たい風が吹きつけ、涙を乾かす。
だが、凍りついた心までは溶かしてくれなかった。
夜。
邸宅に戻った怜司が「ただいま」と告げる声を聞いた瞬間、紗良の身体は反応した。
愛しいはずの声なのに、今は刃のように突き刺さる。
「……遅かったわね」
「すまない。会合が長引いて」
怜司はそう言って上着を脱ぎ、笑みを浮かべた。
その笑顔が、昼間に見たものと重なり、紗良の胸を締めつける。
「会合……?」
「そうだ。取引のために必要な話し合いだった」
嘘だ、と心の中で叫ぶ。
けれど、口にはできない。
代わりに、冷たい沈黙が二人の間に広がっていった。
信じていた初恋の人。
信じたかった夫。
だが――今日、目にしたあの光景は、すべてを裏切った。
紗良の心は、深い闇の中に沈み込み、ひび割れていくのだった。

