朝。
鳳条家の食卓は静まり返っていた。
怜司は新聞を広げながら、ほとんど口を開かない。
紗良は紅茶のカップを手にしながら、胸の内で小さく息を整えていた。

(もう黙って見ているだけじゃ駄目。私も怜司さんと一緒に戦わなければ)

昨日までなら、冷たい沈黙に耐えきれず席を立っていただろう。
けれど今の紗良の瞳には、確かな決意の光が宿っていた。



その日、紗良は実家の西園寺邸を訪れた。
父の書斎に入ると、重厚なデスクに向かう父・雅臣が顔を上げた。

「珍しいな、紗良。何かあったのか」

「お父さま……お願いがあります。怜司さんと鳳条を助けてください」

その言葉に、父の眉がわずかに動いた。

「助ける? あの男は、我が娘を泣かせているのではなかったか」
「ええ……でも、それでも。怜司さんは、私を守るために戦っているのです」



父は沈黙したまま娘の瞳を見つめる。
震えながらも必死に訴えるその姿は、かつて父の庇護のもとで大人しく生きてきた令嬢ではなかった。

「私は、もう逃げません。怜司さんの傍に立ちたいのです」

力強く告げる声に、雅臣の瞳が細められる。

「……お前がそこまで言うのなら」



邸宅に戻った紗良を待っていたのは、仕事を終えて帰宅した怜司だった。
彼は疲れを隠すようにネクタイを外し、無表情のまま紗良を一瞥する。

「どこに行っていた」
「実家へ。……お父さまに、あなたを助けてほしいとお願いしてきました」

怜司の動きが止まる。
驚愕がその瞳をかすめ、すぐに冷たい仮面が戻った。

「なぜそんなことを」
「だって……あなたを失いたくないから」



一瞬、空気が張り詰めた。
怜司の瞳の奥に、わずかな揺らぎが生まれる。
それを見逃さず、紗良は勇気を振り絞った。

「怜司さん。私は、あなたを信じたい。だから――一緒に戦わせて」



沈黙のあと、怜司は視線をそらし、低く呟いた。
「……無茶をするな」

だがその声は、これまでのような拒絶ではなかった。
かすかに滲む温かさが、紗良の胸に灯をともす。



冷たく凍りついていた心に、確かな熱が戻り始めていた。
夫婦の絆はまだ脆く揺れている。
けれど、その奥底で――愛は再び燃え上がろうとしていた。