夜、神宮寺邸の応接間。
重厚なランプが照らす机の向こうで、神宮寺英臣はグラスを傾けていた。
琥珀色の液体が揺れるたび、冷ややかな光が彼の瞳に宿る。

「玲奈。報告を聞こうか」

娘の名を呼ぶ声は、甘さのかけらもない。
玲奈は姿勢を正し、静かに答えた。

「……怜司さまは、紗良夫人との間に確かに亀裂を抱えておられます」
「ふむ。つまり計画は順調だというわけだ」

英臣の唇が薄く吊り上がる。



「鳳条グループの社長と西園寺家の令嬢の結婚は、盤石な同盟にすぎん。
それを壊せば、我が神宮寺が優位に立てる。……そのためにお前がいるのだ、玲奈」

玲奈は静かに頷いた。
だが、その胸の奥では小さなざわめきが広がっていた。

(――私は、本当に父のためだけに動いているの?)

怜司の鋭い瞳、妻を侮辱するなと断言したあの声。
思い出すたびに、胸の奥が熱くなる。



「怜司を揺さぶり続けろ。やがて紗良は自ら身を引く。そうなれば鳳条は孤立する」
英臣は冷酷に言い放った。
「お前にとっても悪い話ではないだろう? 幼い頃から怜司に惹かれていたのだろう」

「……!」

玲奈の頬がわずかに赤くなる。
父に見透かされていることが悔しくて、唇を噛みしめた。

「……私は任務を遂行するだけです」

そう言いながらも、その声には微かな揺れがあった。



英臣は娘の反応に気づいたのか、冷ややかに笑った。
「ふん。任務だろうと恋情だろうと構わん。結果を出せばいい」

玲奈は深く一礼し、部屋を後にした。



廊下に出た途端、張り詰めていた表情が崩れる。
胸に手を当て、乱れる鼓動を必死に抑えた。

(違う……私は駒じゃない。怜司さまを本当に手に入れたいの……?)

父のため、家のため――そう自分に言い聞かせてきた。
けれど今は、別の想いが確かに芽生えていた。

「……どうすればいいの」

玲奈は誰にも聞こえない声でそう呟き、暗い廊下をひとり歩き去った。