その日の残業は、書類整理で遅くなった。
 オフィスを出ると、窓の外には細かい雨が降りしきっていた。
 街灯の光に照らされて、雨粒が白くきらめく。

「……傘、持ってない」

 ロッカーの中に置き忘れてきたことを思い出し、ため息をつく。
 仕方なくカバンを抱えて、濡れるのを覚悟で外に出た。

 冷たい雨粒が髪と頬に落ち、すぐに制服のジャケットを濡らしていく。
 一歩進むたびに、心の奥がじわじわと痛む。

 ――由梨さんに言われた言葉が、頭から離れない。
 「拓也には近づかないで」
 やっぱり、私は身を引くしかない。

 気づけば、視界がにじんでいた。
 涙か雨か、自分でも分からない。
 ただ、前を向くのがつらくて、俯いたまま歩き続けた。

 その時だった。

「……片山」

 突然、頭上に影が差し込む。
 顔を上げると、差し出された黒い傘が雨を遮っていた。
 そして、その傘を持つのは――拓也だった。

「な、んで……」
「濡れて歩いてたら、すぐ風邪ひく」

 低く抑えた声が、雨音に混じって耳に届く。
 拓也は無言で傘をこちらに傾け、自分の肩を濡らしている。

「大丈夫、ですから……自分で――」
「大丈夫そうには見えない」

 静かな言葉に、胸が揺れる。
 私の頬を濡らす雫を、拓也は雨と思っているのか、それとも――。

「……ほら、行くぞ」

 傘の下に導かれるように、私は拓也と並んで歩き出した。
 けれど、隣を歩く彼に視線を向けることはできない。
 胸が熱くなりすぎて、息が苦しかった。

 雨に濡れたアスファルトが街灯に反射し、二人の影を長く伸ばしていた。
 それは、近づきそうで決して触れ合わない影――まるで今の私たちのように