拓也に抱きしめられた夜から、私は彼を避けるようになっていた。
 「大学の頃から好きだった」という言葉は、何度思い出しても胸を熱くさせる。
 けれど同時に、「由梨の存在」という現実がその熱をすぐに冷ましてしまう。

 ――信じたいのに、信じられない。

 その繰り返しに疲れ果て、私は無意識に距離を取っていた。



「片山、最近顔色が悪いよ」

 休憩室でコーヒーを手にした颯真が、心配そうに覗き込んでくる。
 柔らかい茶色の瞳が、私の弱さをすべて見抜いているようだった。

「大丈夫だよ。ただ、少し寝不足なだけ」
「……嘘だな」

 からかうように笑いながらも、その声は優しかった。
 颯真は手にした缶コーヒーを差し出す。

「ほら。甘いやつ。片山、苦いのよりこれ好きだろ?」
「……ありがとう」

 小さな気遣いが、心に沁みる。
 その優しさに触れると、涙がこぼれそうになった。

「片山。俺なら、ずっと隣にいられる。……そう思ってる」

 颯真の低い声。
 真剣な瞳に見つめられ、胸がまた揺れる。

 もし、この手を取れば。
 もう傷つかずにすむのかもしれない。
 颯真となら、穏やかで安心できる未来があるのかもしれない。

 けれど――。

 脳裏に浮かぶのは、あの夜の拓也の熱い抱擁。
 「もう逃がさない」と告げた声。
 涙に濡れた自分を、必死に抱きしめる彼の温もり。

 心は、どちらにも傾いてしまう。
 優しさに惹かれながら、どうしようもなく拓也を求めてしまう。

「……ごめん」

 思わず呟いたその言葉に、颯真は笑顔を作った。
 けれどその笑顔の奥に、哀しみが滲んでいたのを私は気づいてしまった。