深夜。
 玲奈は香水の瓶を手に、屋敷の廊下を歩いていた。
 迷い続けていた足が、ついに透真の執務室の前で止まる。

(聞かなければ……私は壊れてしまう)

 震える指で扉を叩いた。
 「入れ」という低い声が響く。



 執務室には、ランプの灯りだけが揺れていた。
 透真は机に書類を広げていたが、玲奈の姿を見るなり、わずかに眉を寄せた。

「こんな時間に……どうした」

 玲奈は答えず、手にしていた瓶を机に置いた。
 ガラスが小さく音を立てる。

「――教えてください。この香りは……誰のためのものなんですか」

 透真の瞳が鋭く揺れた。



「美咲さんは言いました。これは二人の記憶だって」
 声が震える。
「私は……ただの代用品なんですか?」

 沈黙。
 透真の拳が机の上で音を立てた。

「……美咲の言葉を信じるのか」

「だって、あなたは何も言わない。いつも“契約”ばかりで、私を遠ざけて……!
 本当に私を想ってくれているなら、なぜ隠すんですか!」

 涙が頬を伝い落ちる。



 透真は立ち上がり、玲奈に歩み寄った。
 その瞳には激しい炎が宿っていた。

「玲奈。……俺がお前を代用品だと思ったことなど、一度もない!」

 声が低く、震えていた。

「なら、なぜ……!」

「怖かったんだ」

 吐き出すような声。

「俺の想いを伝えれば、お前を縛り、苦しめると思った。……だが、本当は自分が傷つくのを恐れていただけだ」



 玲奈の胸が大きく揺れる。
 透真の表情は、初めて見るほど脆く、必死だった。

「この香りは……お前のために作った。
 最初に出会った夜、お前が纏っていた涙の色――あれが俺を突き動かした。
 お前を閉じ込めていた殻を破る魔法を作りたかった。それだけだ」

 言葉の一つ一つが、玲奈の胸に突き刺さる。



「……信じていいんですか」
 玲奈の声はかすれていた。

 透真は彼女の頬に手を伸ばし、指先で涙を拭った。
「信じろ。俺のすべてを賭けて言う。お前は代用品なんかじゃない」

 玲奈の視界が涙で滲む。
 だが、その奥に確かに“愛”の光が見えた。



 けれど、その瞬間。
 机の上の電話が鳴り響いた。

 透真は受話器を取ると、表情を硬くした。
「……わかった。すぐ向かう」

 玲奈が不安げに見つめる。
「どうしたんですか……?」

「会社に問題が起きた。……美咲が関わっている」

 緊張が走る。
 愛を確かめた直後に、新たな影が迫っていた。