まだ残る指先の熱が、心を落ち着かせてくれなかった。
 あの距離の近さ、重なった手の感触――。
 ほんの一瞬だったのに、十年前と同じときめきが蘇ってしまった。

 ――やっぱり、私はまだ彼を……。

 そう思った矢先だった。



 「西園寺」
 低い声に呼ばれて振り向くと、廊下の奥で蓮が腕を組んで立っていた。
 周囲に人影はない。
 静まり返ったオフィスに、雨の音だけが遠く響いている。

 「さっきの会議資料……助けてくださって、ありがとうございます」
 勇気を振り絞って言うと、彼は微動だにせず、冷たい視線をこちらに向けた。

 「……勘違いするな」

 「え……?」



 「俺は仕事をしただけだ」
 淡々とした声。
 「……十年前のことを蒸し返すな。もう、あの頃の俺たちはいない」

 「っ……」
 胸が締めつけられる。
 十年前――あの傷を、彼も覚えているのに。

 「どうして……そんな言い方をするんですか」
 必死に問いかける。
 すると彼はほんの一瞬だけ目を伏せ、すぐに冷たい表情を取り戻した。

 「……これ以上、近づくな」



 突き放すように言い捨てて、彼は背を向けた。
 歩き去る足音が遠ざかるたび、胸の奥に広がっていくのは虚しさだけだった。

 「近づくな、なんて……」
 小さく呟いた声が震える。

 ――なら、どうして優しくするの。
 ――どうして触れた指先は、あんなにも熱かったの。

 答えはどこにもなく、ただ心だけが揺さぶられていく。



 夜、ひとりきりの部屋で膝を抱えた。
 「嫌いになれたらいいのに……」
 そう呟いた瞬間、涙が頬を伝う。

 十年前の別れも、今の冷たい拒絶も。
 全部が私を傷つけるのに、どうしてまだ彼を想ってしまうんだろう。

 ――初恋は、残酷すぎる。