金曜の夕方。
 会議資料の準備に追われ、私は慌ただしくパソコンのキーボードを叩いていた。
 提出期限はあと三十分。
 なのに、どうしても数字が合わない。

 「落ち着け……」
 自分に言い聞かせても、焦りで指先が震える。

 そこへ、不意に低い声が降ってきた。
 「どこだ。見せてみろ」



 顔を上げると、すぐ隣に藤堂蓮が立っていた。
 彼はためらいなく椅子を引き寄せ、私の隣に腰を下ろす。
 「えっ……」
 距離が近すぎて、心臓が大きく跳ねる。

 彼の指が伸びて、私のマウスに重なった。
 「あ……」
 思わず息が詰まる。

 冷たい指先。
 でも、微かに触れ合った場所から熱が広がっていく。
 動けないまま、彼の横顔を見つめてしまった。



 「ここだ。計算式が違う」
 短く言いながら、彼は迷いなく修正を入力していく。
 その間も、指先は私の手の甲にかすかに触れ続けていた。

 わざとじゃない。
 ただ偶然重なっているだけ。
 それでも――体中が熱くなる。

 「……ありがとうございます」
 震える声で礼を言うと、彼は画面から目を離さずに答えた。
 「仕事だからな」



 それだけの言葉なのに、触れている指先が離れない。
 「藤堂さん……」
 呼びかけると、彼の指が一瞬だけ止まった。

 けれどすぐに動き出し、何事もなかったようにマウスを私の手から引き取る。
 「もう大丈夫だろう。やれ」

 すっと距離を取って立ち上がる。
 冷たい態度と、触れ合った温もり。
 どちらが彼の本音なのかわからない。



 背を向けて歩き去る彼の後ろ姿を見つめながら、私は自分の指先を握りしめた。
 まだ残っている熱が、心を落ち着かせてくれない。

 ――あの頃と同じ。
 触れ合っただけで、こんなにも揺れてしまう。

 拒まれるたびに、もっと彼を求めてしまう。
 私はもう、止められないのかもしれない。