元婚約者の挑発の言葉が胸に突き刺さったまま、私は翌日も出社した。
 けれど、オフィスに一歩足を踏み入れた瞬間、空気がいつも以上に冷ややかだと感じた。

 「聞いた? また見られたんだって」
 「西園寺さんと佐伯くん、一緒に出てくるところ」
 「でも蓮部長と元婚約者も、先日レストランにいたらしいし……」

 囁き声が絶え間なく響き、視線が私に突き刺さる。
 椅子に腰を下ろすと、机の上に置いておいた資料が、いつの間にか隣の机へ押しやられていた。



 「……どうして」
 小さく呟いた声は、自分にしか届かない。

 昼休み。
 食堂で席を探しても、誰も隣に座ろうとしなかった。
 トレーを抱えたまま立ち尽くす私の前に、同僚が無造作に言った。
 「そこ、もう使ってるから」

 目の前の席は空いていた。
 けれど私は何も言えず、静かに踵を返した。



 廊下で壁にもたれかかっていると、佐伯が駆け寄ってきた。
 「西園寺さん、大丈夫か?」
 心配そうな瞳が私を見つめる。

 「……平気です」
 笑顔を作ろうとしたけれど、声は震えていた。

 「平気な顔しなくていい」
 彼はそっとハンカチを差し出す。
 「俺は君の隣にいる。たとえ誰が離れていっても」

 その優しさに救われそうになり、胸が締めつけられた。



 しかし、その場から少し離れた場所に蓮の姿があった。
 同僚たちの視線を遮るように立っていたのに、彼は一歩もこちらに近づいてこない。

 ――なぜ、何も言ってくれないの。
 私を守れるのは、あなたしかいないのに。

 その想いは、喉元で絡まり、言葉にならなかった。



 噂と影に追い詰められた私は、ついにオフィスの中で完全に孤立した。
 信じたいのに信じられず、愛したいのに愛せない。
 孤独の淵で揺れる心は、どこへ向かえばいいのかわからなかった。