「……俺には、君をどうこうする資格がない」
 蓮の背中が遠ざかるのを見送ったあと、私はその場に立ち尽くしていた。
 冷たい言葉の余韻が胸を抉り、涙が溢れそうになる。

 ――どうして、いつも突き放すの。
 どうして、信じさせてくれないの。



 夜。
 資料を抱えてデスクに戻ると、佐伯が待っていた。
 「西園寺さん」
 その声を聞いた瞬間、張りつめていた心が緩んでしまった。

 「顔色……ひどいな」
 彼は眉を寄せ、机の上に温かい缶コーヒーを置いた。
 「ほら、甘いの。少し飲めば楽になるから」

 そのさりげない優しさに、また涙が滲む。



 「……大丈夫です」
 震える声でそう言うと、彼は首を横に振った。

 「大丈夫じゃないだろ」
 柔らかな声が心に沁みる。
 「無理に笑わなくていい。俺は、君の弱さも全部受け止めたい」

 その言葉に胸が大きく揺れた。
 優しさに包まれるほど、心は痛みを増す。



 仕事を終え、駅までの帰り道。
 雨上がりの歩道を歩いていると、佐伯が傘を差し出してくれた。
 「濡れると風邪ひくよ」
 私の肩を守るように差し伸べられた傘の中。

 「……どうして、そんなに優しいんですか」
 気づけば声が震えていた。

 佐伯は少し黙ってから、静かに答えた。
 「好きだから」



 その一言に、足が止まった。
 「俺は、君がどんなに藤堂部長を想っていても、君の味方でいる」
 真剣な眼差し。
 「泣きたいときは泣いていい。逃げたいときは逃げていい。……でも、俺の前では笑ってほしい」

 胸が熱くなり、涙が頬を伝った。



 彼はその涙を拭おうともせず、ただ静かに見つめていた。
 「無理に答えはいらないよ」
 そう言って差し出された温もりが、心を強く揺さぶる。

 ――それでも寄り添ってくれる人。
 その存在の大きさに気づきながらも、私はやはり蓮を想ってしまう自分から逃れられなかった。