仕事終わりのオフィス。
 資料を片付けていると、隣に立った佐伯が静かに声をかけてきた。

 「西園寺さん。……このあと、少し付き合ってくれない?」

 顔を上げると、柔らかい笑みと真剣な眼差し。
 心臓が跳ねた。



 誘われるままに訪れたのは、小さなイタリアンレストランだった。
 キャンドルの灯りがテーブルを照らし、落ち着いた空気が広がっている。

 「たまには、こういう時間も必要だろ」
 佐伯は軽やかにワインを注ぎながら言う。
 「噂や周りの視線ばかり気にしていたら、君が壊れてしまう」

 その言葉に胸が熱くなる。



 「……ありがとうございます。佐伯さんがいてくれて、本当に救われてます」
 正直な気持ちを口にすると、彼は嬉しそうに目を細めた。

 「もっと、頼ってほしい。俺は本気だから」

 テーブル越しに触れた指先が温かく、心が揺れた。
 あの夜、寸前で止まった想いが、再び近づいてくる気配。



 そのとき。
 ふと視線を感じて入口の方を見ると――蓮が立っていた。

 驚いたようにこちらを見つめる彼の瞳に、嫉妬の影が滲む。
 すぐに視線を逸らし、踵を返す背中。

 「……部長」
 思わず名前を呼んでしまった。
 けれど彼は振り返らなかった。



 「西園寺さん……?」
 佐伯の声に、慌てて笑顔を作った。
 「ごめんなさい。ちょっと……知り合いを見かけた気がして」

 そう言いながらも、胸は締めつけられる。

 ――どうして。
 私の心は、こんなにも揺れてしまうの。



 食事のあと、佐伯が車で送ってくれた。
 「今日は楽しかった。君が笑ってくれて、俺も嬉しい」
 その真っ直ぐな言葉に、涙が込み上げる。

 「……ありがとう、佐伯さん」
 夜風に揺れる街灯の下で小さく呟いた。

 けれど、心の奥には、さっき見た蓮の表情が焼きついて離れなかった。