元婚約者との再会は、思っていた以上に胸を抉った。
 「彼に相応しいのは私だけ」――その冷たい言葉が、頭から離れない。

 十年前と同じ。
 私はまた、影に押し潰されようとしていた。



 翌日。
 出社すると、オフィスの空気はさらに冷たくなっていた。
 「やっぱり戻ってきたらしいよ」
 「西園寺さん、もう部長に必要とされてないんじゃない?」
 小さな囁きが背中を突き刺す。

 足がすくみそうになるのを必死に堪え、デスクに向かう。
 資料をまとめる手が震えて止まらなかった。

 そのとき、隣の席から小さな紙コップが差し出された。
 「西園寺さん、コーヒー」
 振り返ると、佐伯が柔らかい笑みを浮かべていた。

 「顔色が悪い。無理してない?」



 温かさに胸が詰まる。
 「……ありがとうございます」
 小さな声で答えると、彼は軽く首を振った。

 「礼なんていらないよ。俺はただ……君に笑っていてほしいだけだから」

 その言葉に、視界が滲んだ。
 どうして、こんなに優しいのだろう。
 どうして、この優しさに甘えきれないのだろう。



 午後の打ち合わせ。
 会議室に現れた元婚約者は、堂々と蓮に微笑みかけた。
 「お久しぶりね、蓮さん」

 彼の表情が一瞬だけ揺れる。
 その小さな揺らぎが、胸を鋭く刺した。

 会議が終わるや否や、私は誰よりも早く部屋を出た。
 「……もう無理かもしれない」
 廊下の片隅で呟いた声は、涙に震えていた。



 「西園寺さん」
 優しい声が背後から響く。
 佐伯だった。

 「辛そうだな」
 そう言って差し出されたのは、いつも持ち歩いているという小さなミントキャンディ。
 「甘いもの食べると、少し楽になるから」

 思わず笑ってしまった。
 涙を拭いながら、彼の優しさに救われる。

 「……佐伯さん、本当にありがとうございます」
 「俺は、君の笑顔を守りたいだけだ」
 真剣な眼差しに、胸が熱くなった。



 けれど――頭に浮かぶのは蓮の横顔ばかりだった。
 元婚約者の声に揺れた彼の表情。
 そして、十年前に交わしたたった一度のキス。

 「……どうして」
 どうして心は、こんなにも揺れてしまうの。

 佐伯の優しさに救われながらも、私の想いは別の人に縛られ続けていた。