「……俺には資格がない」
 その言葉の意味を、どうしても知りたかった。
 けれど彼は、答えを与えぬまま背を向けてしまった。

 ――十年前。
 突然別れを告げられ、理由もわからず取り残されたあの日。
 その影が、今なお私を縛っている。
 そして彼自身もまた、その影に囚われているのだと気づいてしまった。



 数日後。
 資料の整理で残業していた私は、偶然、蓮の声を耳にした。
 会議室の扉の向こうから聞こえる、低く掠れた声。

 「……俺のせいだ」
 その一言に、心臓が跳ねた。

 思わず足を止め、ドアの隙間から中を覗く。
 そこにいたのは、蓮と本部の上層部らしき人物だった。



 「十年前の件は水に流したはずだ」
 年配の男の声。
 「だが、もし再び同じことが起これば――」

 「わかっています」
 蓮は低く答える。
 「だからこそ、俺は……彼女を近づけてはいけない」

 胸が締めつけられる。
 ――彼女。
 それが私を指していることは、言われなくてもわかった。



 会議室の扉が閉まったあと、私は廊下の影で立ち尽くしていた。
 「十年前の件……?」
 その言葉が耳から離れない。

 彼は、自分を責めている。
 まるで、私を巻き込んだこと自体が罪であるかのように。



 その夜、意を決して彼に問いかけた。
 「部長……十年前、何があったんですか」

 彼は驚いたように目を見開き、すぐに表情を固くした。
 「……聞くな」
 冷たい声。けれど、震えていた。

 「聞かなきゃ前に進めません。私たちは、ずっと過去に縛られたままです」

 必死に言葉を重ねる。
 沈黙のあと、彼は深く目を伏せた。



 「……俺は、君を守ることができなかった」
 絞り出すような声。
 「婚約者がいたことも、君に伝えられなかった。
 君が陰でどれだけ傷つけられていたか知りながら……俺は何もできなかった」

 「部長……」
 胸が痛む。

 「俺は、君の初恋を……自分の弱さで壊したんだ。
 そんな俺に、再び君を愛する資格なんてあるはずがない」



 その言葉に、涙が零れた。
 十年前、理由もなく捨てられたと思っていた。
 けれど本当は――。
 彼は、自分の弱さを許せず、私を遠ざけることでしか守れなかったのだ。

 「……私は、まだあの日のままなんです」
 震える声で告げる。
 「あなたが背を向けた理由を知らないまま、ずっと立ち止まっていた」

 蓮は痛みに耐えるように目を伏せた。



 ――許されない過去。
 彼はそれを抱え続け、私を拒絶することでしか贖えないと思っている。
 けれど、その拒絶こそが、私を最も深く傷つけていた。

 「もう、過去に縛られるのはやめましょう」
 小さく囁いた言葉が、彼に届いたかどうかはわからない。

 ただ、彼の瞳が揺れたのを、私は確かに見た。