昼休みのオフィスは、静かなざわめきに包まれていた。
 電子レンジの音やカップ麺の匂い、同僚たちの笑い声。
 けれど、その中に混じる小さな囁きが、私の耳を突き刺す。

 「ねえ……西園寺さんと部長、最近やけに近くない?」
 「そうそう。会議のときも目が合ってるの見たし、資料のやりとりだって普通じゃない感じ」
 「まさか、噂どおり付き合ってるとか?」

 ――心臓が、跳ねた。

 「違います!」
 思わず声をあげそうになり、慌てて唇を噛む。
 聞こえないふりをして席に戻ろうとするのに、噂話は止まらなかった。

 「だって、ほら。西園寺さん、残業のときよく部長と一緒にいるでしょ」
 「それに、彼女……やっぱり特別扱いされてるよね」

 背中に熱い視線を感じながら、自分の席に腰を下ろした。
 キーボードを打つ指先が、かすかに震えている。



 午後の会議。
 資料を配ろうと立ち上がった瞬間、近くの同僚たちがまたひそひそと囁いた。

 「……部長って、昔すごく綺麗な人と付き合ってたらしいよ」
 「今もその人と続いてるんじゃないの?」
 「じゃあ西園寺さんは二番手?」

 頭の奥が真っ白になった。
 元カノの影――。
 やっと忘れかけていた言葉が、また胸を締めつける。

 資料を落としそうになったとき、不意に彼の手が伸びた。
 「大丈夫か」
 静かな声に支えられ、心臓が跳ねる。

 だがその優しささえ、周囲の視線を強くする。
 「やっぱりね」
 「見た? あの距離感」

 小さな囁きが、矢のように突き刺さった。



 会議が終わり、机に向かって必死に仕事を続けた。
 噂なんて気にしない――そう思いたかった。
 でも、視線は痛いほど突き刺さる。
 「特別扱い」
 「二番手」
 その言葉が頭から離れなかった。

 夕方、給湯室で水を入れていると、背後から声がした。
 「西園寺」
 振り向くと、藤堂部長が立っていた。

 「……噂、聞いてるだろう」
 低い声に、胸が凍る。

 「き、聞いてません……」
 必死に否定するけれど、彼は私の瞳をじっと覗き込んでくる。
 「……余計なことは気にするな」

 そう言った彼の表情は、いつも以上に冷たく見えた。
 けれど、その瞳の奥には確かに揺らぎがあった。
 「部長……本当に、何もないんですか」
 勇気を振り絞って問いかけると、彼は一瞬だけ息を止め、そして吐き捨てるように言った。

 「――関係ないだろ」

 その言葉に、胸が強く締めつけられた。



 夜。
 デスクに残ったまま、ひとり涙を堪えていた。
 「関係ない」――その言葉が十年前の記憶を呼び覚ます。
 あのときも、彼は私を拒絶した。

 どうして、私は何度も同じ場所で傷ついてしまうんだろう。
 どうして、まだ彼を求めてしまうんだろう。

 噂に追い詰められるほど、心は彼を求めてしまう。
 もう止められない。

 ――そして次の日、私は「涙の独白」をすることになる。